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時に戦いは、
フロントやマスコミを巻き込んで リング外で行われる

そこには、
底知れぬ感情や嫉妬、己との葛藤、そして生き残りをかけた個人闘争...
そんなリング外で行われた 事件や騒動の記録です。

 


一億円トーナメント

UWFインターナショナル
1994年4月3日
大阪

 

UWFインターナショナルは、
「プロレスリング・ワールドトーナメント 1994 1回戦」を開催


今回のトーナメント開催に先立ち、なんと「プロレス界のナンバー1を決める構想」として、

 新日本プロレス 橋本真也、
 全日本プロレス 三沢光晴、
 WAR     天龍源一郎、
 リングス    前田日明、
 パンクラス   船木誠勝

 の5選手を特別招待選手とし、

この5選手が優勝した場合の賞金を1億円として記者会見場に
現金1億円を積み上げ、一方的に5選手に対する招待状を発送したのだ。

新日本橋本は反発、

全日本三沢もUインターを非難し、

WAR天龍、パンクラス船木も日程調整不可という理由で、

出場不参加となった。


リングス前田は過去の経緯もあり、
橋本・三沢・天龍・船木が不参加と決まった時点で、
リングス対Uインターの全面対抗戦を提案したが、交渉が不調に終わった。

また不調に終わった事で、
安生は「前田なんて前のUWFで終わった人間。堕ち行く己の価値をごまかすためにUWFインターを利用しようとした。
高田さんを出すまでもない。僕でも200%勝てますよ」と挑発し、

前田側も「個人的に制裁する」と一触即発となった。

 

記者会見上に積まれた1億円は、
その日のうちに金利を含めて金融機関へ返済したという話

実際、
Uインターは「プロレスこそ最強」を戦いのテーマに、
プロボクシングWBCヘビー級の元王者トレバー・バービック戦を始め、ゲーリーオブライト、スーパーベイダー、
元横綱北尾光司、パットニュースアレン、アブトラーザブッチャーなどの参戦で、Uスタイルの中でも新日本に近い戦いを行い、
高田自らがルーテーズの世界ベルトを巻き「プロレスリング世界ヘビー級」戦ったが、興行的に困難な状態が続き、
新日本プロレスとの全面対抗戦へ活路を見出した。

 



安生洋二 前田襲撃事件

1999年11月14日
東京ベイNKホール

200%男が、格闘王を背後から襲撃
 
東京ベイNKホールで開催されたUFC-Jの大会終了後、
安生洋二が背後から当時リングス社長の前田日明を襲撃。
右ストレートを見舞った。

全く無防備だった前田は、前ノメリに倒れ失神、眉上を4針縫う裂傷を負わせた。




1994年「一億円トーナメント騒動」時、安生は「前田に200%勝ちます」と発言
前田側も「個人的に制裁する」と反撃し一触即発の状態であった事が発端となっている。

1996年サムライTV開局パーティの壇上で、前田が安生に裏拳を見舞い、

安生は今回の事を「パーティーの席で殴られたので一発返しておこうと思った」と
3年前の報復行為であることを自ら口にしている。

結局、
試合が組まれる事はなく、
裁判で落ち着いた。

 

 



ワイキキビーチ襲撃事件

1986年8月
ハワイ
ホノルルビーチ


ブロディが猪木にワイキキビーチで襲撃 ! ?



IWGPタッグリーグ戦最終日、
ブロディは、パートナーのスヌーカーとともに突然ボイコット新日マットから姿を消してしまった。

ブロディは大変プライドの高い男で、金銭面、待遇面で多くの不満を抱えており、
特に小さな相手とのマッチメークには、多くの不満を感じていた。


全日本で長州と対決した時も、
その試合はブロディの強さだけを感じ、長州に一切見せ場を作らない一方的な試合になっていました。
(ちなみにこの試合がブロディ全日最後の試合)

 


しかし、
ボイコットで一方的に離脱した行為は世界中のプロモーターにも避難され、大きな会場での試合が確実に減ってしまったのだ。

そんな中、
ハワイ・アロハスタジアムでの興行に参加したブロディ !
この興行には猪木ら新日勢も参加していた。

直接対決はなく、
猪木は一日だけのオフを利用して、
ワイキキビーチで日光浴をしているとき、
突然ブロディが現れたのです。


至近距離での睨み合いから、ブロディが大声で猪木にまくしたてる。

猪木は「落ち着いて話せ こんな場所ではなく、もう一度、出直してこい」と......


突然ビーチで大男どおしの睨みあいに、海水浴客らは一時茫然となりましたが、大きな問題は起こらなかった。


そして、
ブロディは再度新日本マットで最後の猪木戦が実現 !
 

 


実現しなかった世紀の一戦


前田日明Vsヒクソン・グレーシー

 

前田日明は、引退間際にヒクソン・グレイシーと対戦交渉をしていた。
そのきっかけになったのは、高田の対ヒクソン戦惨敗にあった。

一貫して高田の勝利を確信していた前田は、
その結果に納得できず、「次はオレが行く」発言して、対ヒクソン戦実現へ動いたのだ。

しかし実現に向けて、ヒクソン側はリングスのリングに上がる事に難色を示し、
前田は対ヒクソン戦を断念して、人類最強の男アレキサンダー・カレリンと対戦
まもなく、待ってましたのように高田Vsヒクソンの再戦が決まってしまい、前田Vsヒクソンは幻に終わった。

高田はヒクソンの再戦でも惨敗の結果を招いことは、日本格闘技界の汚点となってしまった。
ヒクソンは、その後戦った船木を武道家(サムライ)と高く評価したが、
高田に関しては単なるアスリートという言葉を使って留めただけであった。

また400戦無敗のヒクソン自身に関しても、
ヒクソンが倒した相手に世界のトップレベルの強豪がいなかった事で、
本当にヒクソンは強かったのか? 疑問は残ってしまった。

もし、ヒクソンがヒョードルやノゲイラ、前田、藤田、桜庭、さらにはミルコ、アリスター、シウバらと戦っていたら、
本当に強かったのか 自ずから証明できたはずであった。
 


長州力Vsヒクソングレーシー

 

船木がヒクソンに惨敗したことで、今度は長州がヒクソン戦へ 動いた。
新日本プロレス は交渉し感触をつかみ「コロシアム2001」として長州Vsヒクソン戦実現へ
ルールなど両者間対戦実現に前向きだった。

新日側は、さらに「新日本Vsグレイシー一族」の戦いを模索して
健介、藤田、中西、エンセン井上などを対戦候補者として挙げていた。

しかし、当時新日本では小川Vs新日本の遺恨がらみの戦いが続いており
長州本人が、「テンションが上がらない。ヒクソン戦は困難だ」と弱音を吐き
健介Vsヒクソンをアピールするもヒクソン側はこれを拒否し、

結局実現はしなかった。

 

 

2019年6月 長州ラストマッチ目前に前田が東京スポーツのインタビューでこの事を語っている。



⇒長州をアマ格闘技「アウトサイダー」の会場に呼んだことも
 前田 「一時期はヒクソン(グレイシー)とやるとか話あったんだけど、
もしやってたら、ヒクソンは絶対、長州力をテークダウンできない。賭けてもいいよ。」


⇒勝ってた可能性も
 前田 「勝つか負けるか、そこまでは言いたくないんだけど…テークダウンできないんだから(ヒクソンは)勝てないでしょ。
反対に引き倒して、上に乗って(ポジションを)変わんなくていいなら全然…勝てるんじゃないの? パウンドで十分だよ。
全く関節(技を)知らないわけじゃないしさ、あの人。
いやー、ヒクソンとやるとこ見たかったね。
やってあの人が下手打ったら、俺が出ていく、みたいな。」

 


  

実際には、もっと奥深い内容が潜んでいると思います。

だからこそ、
例えば藤波の記念大会に猪木や前田、長州ががっちり握手を交わすと
なぜかホットします。

 

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