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そのリングは決して平穏無事ではない!

常に何かを仕掛けて、何か事件がおき、
リングのど真ん中に、裏切りと復讐と感情の縺れが存在する
過激なリングになっていた

それは新日本しかわからない、熱く燃えるイデオロギーの戦いの歴史である

( 新日本で起こった抗争、遺恨、決着、事件)

 

新日本 イデオロギーの歴史

1981年 国際プロレス崩壊 R木村が猪木に挑戦
1983年 長州革命 俺はお前のかませ犬じゃない
1983年 クーデター事件 UWF誕生〜長州全日マット登場、そして復帰まで 
1986年 前田Vsアンドレセメントマッチ
1987年 橋本真也リンチ事件
1987年 世代闘争
1987年 前田 長州顔面蹴撃事件
1988年 飛龍革命
1991年 新日本Vs誠心会館 他流試合
1995年 新日Uインター全面戦争
1996年 馳新日本引退と全日本入団

続きへ

1997年 橋本小川の仁義なき戦い
2002年 武藤全日移籍 長州WJ設立 〜新日ど真ん中まで
2003年 なにコラ!タココラ!問答
2004年 禁断の出戻り男・健介を 永田がケンカ制裁
2004年 西村の長年に渡る長州への深い憎悪を虚しく、長州に吐血KO敗け
2011年 どうにも歯がゆい諏訪魔の新日大嫌い戦争
2015年 遺恨の炎をくすぶらせ、諏訪魔が恐ろしい相手を敵にした!
2019年 外敵KENTAが新日ど真ん中で巻き起こしたBefore & After
 


 

国際プロレス崩壊
R木村が猪木に挑戦


こんばんは
1981年9月23日
新日本プロレス
田園コロシアム

田園コロッシアム 猪木Vsタイガー戸口 試合前に国際軍団が登場
マイクを持った木村が、
「こんぼんわ」と 少々拍子抜けの開戦となった。

国際プロレスの崩壊により、 
新日本参戦を拒んだマイティ井上は、冬木・米村・菅原を率いて全日本へ、
鶴見・マッハ隼人・高杉・若松は海外へ 
グレート草津は引退、

残った木村・浜口・寺西の3人が新日本を選んだ。

阿修羅原は少し遅れて全日本へ登場となった


 

猪木は常に「誰の挑戦でも受ける」の姿勢を貫いていたが、 これまでは木村に対しては、
「木村よ、己を知れ。お前はオレの挑戦者としてふさわしくない」 と言っていた時代があっただけに、

木村にとっては、やっとたどりついた 最後の大勝負だった。

初戦 猪木大暴走
1981年10月8日
蔵前国技館

60分一本勝負
×アントニオ猪木 10分35秒
反則
〇ラッシャー木村

猪木、エキサイトしてローププレイクでも腕ひしぎ逆十字を離さず、反則敗け

当初は、10月8日 新日本Vs国際プロレスの対抗戦として

猪木Vs木村の他に、
藤波Vs阿修羅原、
タイガーマスクVsマッハ隼人、
長州Vs浜口、
星野・剛Vs寺西・鶴見

を予定していた。

土壇場で阿修羅原が全日本に移籍する事で、
藤波との2回目の対決は消滅した。

第2戦 ランバージャック
1981年11月5日
蔵前国技館

 

ランバージャックデスマッチ
〇アントニオ猪木 15分8秒
TKO
×ラッシャー木村

セコンドがタオルを投げ、木村はTKO負け

木村は涙を流しながら
「オレは腕が折れてもギブアップしない覚悟だったのに、なんで勝手にタオルを投げたのだ」と言い放ち

猪木も木村を認め、木村・浜口・寺西に握手を求めたのだ。


 
第3戦 国際軍団の乱入
1982年2月9日
大阪府立体育会館

シングルマッチ
×アントニオ猪木 リングアウト 〇ラッシャー木村

国際軍団の乱入によって木村がリングアウト勝ち
確実に木村および国際軍団は、悪の道を歩み始めた。


 
第4戦
1982年3月

シングルマッチ
△アントニオ猪木 両者リングアウト △ラッシャー木村

 
第5戦 敗者髪切りマッチ
1982年9月21日
大阪府立体育会館

シングルマッチ
〇アントニオ猪木 体固め
11分34秒
×ラッシャー木村

猪木「木村、男の恥をしれ!」

これまで不可解な試合が続いたが、ここで猪木が木村をピンフォールで勝つ
そして木村はリング上で丸坊主になるはずであったが、
逆に国際軍団の乱入で猪木が髪の一部を切られ、木村はリング外へ逃走
卑怯な木村に対して、
怒った猪木は「3人束になってかかってこい!」とアピール

第6戦 1対3ハンディキャップマッチ
1982年11月4日
蔵前国技館


1対3ハンディキャップマッチ
アントニオ猪木 〇猪木(13分3秒 逆十字固め)寺西×
〇猪木(9分27秒 体固め)浜口×
×猪木(4分37秒 リングアウト)木村〇
ラッシャー木村
アニマル浜口
寺西勇

 因縁の国際軍団を「3人まとめてやってやる」と豪語した猪木だったが
寺西、浜口は倒したものの、最後は木村にリングアウト負け
木村は辛うじて面目を保った。

第7戦 1対3ハンディキャップマッチ 再戦
1983年2月7日
蔵前国技館


1対3ハンディキャップマッチ
アントニオ猪木 〇猪木(10分10秒 体固め)木村×
〇猪木(5分10秒 コブラツイスト)寺西×
×猪木(5分56秒 反則)浜口〇
ラッシャー木村
アニマル浜口
寺西勇

もはや新国際軍団の3人が束になってかかっても猪木には敵わない
という印象の結末となった。



第8戦
1983年4月3日
蔵前国技館

シングルマッチ
〇アントニオ猪木 体固め ×ラッシャー木村


第9戦 IWGP決勝リーグ戦
1983年5月
IWGP公式戦

IWGP決勝リーグ戦 参加メンバー
日本代表 アントニオ猪木
キラーカーン
ラッシャー木村
北米代表 アント゜レザジャイアント
米国代表 ハルクホーガン
ビックジョンスタッド
中南米代表 エルカネック
エンリケベラ
欧州代表 オットーワンズ
前田日明

※木村は、北米代表のデノブラボーの欠場による代打出場

IWGP 公式リーグ戦
〇アントニオ猪木 体固め ×ラッシャー木村


第10戦
1983年8月28日
田園コロシアム

シングルマッチ
〇アントニオ猪木 12分38秒
卍固め
×ラッシャー木村

試合後リングに長州、カーン、浜口の維新軍も乱入!

猪木は
「てめぇらいいか、姑息なマネをするな!片っ端からかかって来い!全部相手してやる!藤波だって、坂口!お前もだ!」
「オレの首を掻っ切ってみろ!
とマイクアピール

この頃、新日本はタイガマスクの引退を含めた内部クーデターのど真ん中にいた
腹に据えかね猪木の怒りからくるものであった。

 
ファイナル 完全決着KO
1983年9月21日
大阪府立体育会館

シングルマッチ
〇アントニオ猪木 KO ×ラッシャー木村

キーラー猪木が、顔面への爪先蹴りで流血させ
延髄斬りから わずか5分で完全KO


木村と抗争に終止符を打つ
と同時に、猪木も木村の闘志を認めた称えた。

この試合は、木村との再戦を時期尚早と拒否した猪木に対し、当時マッチメークを行っていた選手会が強引に決めた事で、
「どうなっても知らんぞ」と吐き捨てた猪木が受けた試合であった。

当時、新日本はクーデターのど真ん中で猪木・坂口がかなり追いやられていた時期、
そんな時期に猪木のド迫力のファイトには、一切誰も太刀打ちできず、猪木の存在と威力を見せつける試合となった。

この後、木村は旧UWFに参戦を経て、馬場全日本へ
 



長州革命 俺はお前のかませ犬じゃない

1982年10月8日
後楽園ホール

それはメインイベント 猪木・藤波・長州Vsブッチャー・アレン・ジョーンズ戦で勃発した。
入場の際、藤波の前を歩く長州、そして藤波より先にコールされた長州
何やら長州がリングアナにクレーム!? その横にいた藤波の形相も凄い
ゴングと同時に、先発をめぐって長州が藤波と小競り合い....

試合最中も長州と藤波が試合を忘れての小競り合いが続く...
長州革命が始まった瞬間だった

 

「藤波!俺はお前の噛ませ犬じゃない!
なんで俺がお前の下なんだ。
なんで俺がお前の前を歩かなきゃ
いけないんだ!」

「俺とお前とどこが違う。お前はチャンスを与えられただけだ。
勝負しろ、勝負してやる、お前をぶっ倒してやる!」


1982年10月22日 広島県立体育館

藤波辰巳

20分34秒
ノーコンテスト

長州力

1982年11月4日蔵前国技館 WWF認定インターナショナルヘビー級選手権

藤波辰巳

12分8秒
反則

長州力

×

1983年4月3日蔵前国技館 WWF認定インターナショナルヘビー級選手権

×

藤波辰巳

16分39秒
体固め

長州力

1983年4月21日蔵前国技館 WWF認定インターナショナルヘビー級選手権

×

藤波辰巳

12分8秒
リングアウト

長州力

1983年5月8日 IWGPシリーズ

アントニオ猪木
○ハルク・ホーガン

片エビ固め

×長州力
キラーカーン

×

1983年5月15日 IWGPシリーズ

○アントニオ猪木
坂口政二

体固め

×長州力
キラーカーン

 

1983年7月7日大阪府立体育会館 
WWF認定インターナショナルヘビー級選手権

×

藤波辰巳

16分29秒
反則勝ち

長州力

1983年8月4日蔵前国技館 
WWF認定インターナショナルヘビー級選手権

藤波辰巳

19分24秒
リングアウト

長州力

×

1983年9月2日福岡国際センター 
WWF認定インターナショナルヘビー級選手権

藤波辰巳

12分51秒
両者リングアウト

長州力

1983年9月21日大阪府立体育会館 
WWF認定インターナショナルヘビー級選手権

藤波辰巳

19分24秒
両者リングアウト

長州力

長州は心の師であるマサ斎藤、浜口、谷津、小林、寺西、カーンらと革命軍を結成し
長州の革命は、猪木・藤波の正規軍と維新軍の戦いに膨らんだ。


 

正規軍vs維新軍 4対4 綱引きマッチ
1983年11月3日
蔵前国技館


リングに巨大なロープ4本 それぞれ8つの先端が
リング左右に立つ正規軍と維新軍に向けられた。

ロープはリング中央で目隠しされてた。
選手全員が一本ずつのロープを握り、やがて目隠しが取り外された、

古館アナの場内アナウンス「長州選手と前田選手.....」に、観客がワーッと歓声が響く。


4対4 綱引きシングルマッチ
×坂口征二 8分11秒
反則
○アニマル浜口
×前田日明 12分57秒
サソリ固め
○長州力
▲藤波辰巳 14分14秒
両者リングアウト
▲キラーカーン
○アントニオ猪木 9分48秒
延髄斬り
▲谷津嘉章

藤原喜明テロ事件
1984年2月3日

入場した来る長州を藤原が待ち伏せして鉄パイプで流血させた。
結局試合は無効試合となり、藤波「こんな会社、辞めてやる!」と吐き捨て、タクシーで会場を後にした。

1984年2月3日札幌中島体育センター 
WWF認定インターナショナルヘビー級選手権

藤波辰巳 試合不成立
★藤原乱入
長州力

札幌の遺恨再発
1984年2月9日

手負いの藤原と長州が激突!
試合後、一時距離をおいていた藤波も乱入

1984年2月9日

× アントニオ猪木
×藤原喜明
前田日明
レフェリーストップ 〇長州力
マニアル浜口
谷津善彰

 

1984年5月18日 
IWGPシリーズ

アントニオ猪木 逆さ押え込み 長州力 ×

1984年6月10日静岡産業館 
IWGP公式リーグ戦

×

藤波辰巳

14分42秒
リングアウト

長州力

1984年7月5日 大阪府立体育会館 

藤波辰巳

9分46秒
反則勝ち

長州力

×

1984年7月20日札幌中島体育センター 
WWF認定インターナショナルヘビー級選手権

藤波辰巳

15分8秒
体固め

長州力

×

 
正規軍vs維新軍 5対5勝ち抜き戦
1984年4月19日
新日本プロレス
蔵前国技館

柔道の勝ち抜き戦のように、先鋒・次鋒〜大将 までが順に戦い勝ち抜く試合形式が採用された。
正規軍は、いきなり先鋒をかった藤波が、小林、寺西を勝ち抜いた。


正規軍   維新軍
藤波辰巳 先鋒 小林邦明
高田伸彦 次鋒 寺西勇
木村健吾 中堅 谷津善彰
藤原義明 副将 アニマル浜口
アントニオ猪木 大将 長州力

  

5対5 勝ち抜きシングルマッチ
○藤波辰巳 7分30秒
原爆固め
×小林邦明
○藤波辰巳 8分27秒
サソリ固め
×寺西勇
×藤波辰巳 3分2秒
エプロンカウントアウト
○谷津嘉章
×高田伸彦 10分6秒
片エビ固め
○谷津嘉章
○木村健吾 8分21秒
片エビ固め
×谷津嘉章
×木村健吾 6分29秒
体固め
○アニマル浜口
▲藤原喜明 7分32秒
両者リングアウト
▲アニマル浜口
○アントニオ猪木 13分44秒
卍固め
×長州力


編集後記

当初長州は、藤波に対して「俺とお前とどこが違う。お前はチャンスを与えられただけだ。」と語った

しかし
冷静に考えると藤波はエリートでもなければチャンスを与えられたわけでもなかった
鶴藤長天の中で、唯一日本プロレスの下済み時代を経験し この時点で目の前にはスターの猪木と馬場がいたのだ


自身の力でWWWFJrヘビー級を獲得し凱旋!
ドラゴンブームを巻き起こし Jrヘビー級の文化を持つかえってのだ。
むしろエリートだったのは五輪選手として鳴り物入りで新日に入団した長州の方だったのではと思う。



クーデター事件
UWF誕生、長州の全日登場と復帰


新日本プロレス
1983年 1984年〜1987年

 

新日本を激震させたクーデター事件
実は人気絶頂期のタイガマスクの引退も、長州らの離脱も、第一次UWFも 全部つながっていた!

発端は、
プロレスとは異なるアントンハイセの事業の数十億に膨らんだ負債であった。

このままの状態が続くと今後どうなるか!
そんな不安から首謀者山本小鉄が動き出した事から始まった。

小鉄は新団体の設立を考えて動いていたが、資金を集められないでいた。

 小鉄は猪木の同志ではなかったのか?

小鉄は若手メンバーの指導の為、現役引退と巡業責任者から外され、
新間氏への嫉妬を含めた逆恨みがあったのでは???


そんな中、クーデターの動きを察したテレ朝から新日プロに出向していた大塚らは、
小鉄に対し「経営上、問題なのは猪木、坂口、新間なのだから、その3人を新日プロから排除すれば新団体を立ち上げる必要はないだろう」と説得



結局、

小鉄とテレ朝出向幹部派 社内改革クーデターに路線変更
新団体設立を目指す大塚派 「そもそも猪木さんなしの新日プロは無理」という結論
タイガーとマネージャー 独立したい!
藤波 どっち付かず???
長州 マサさんのように。フリーになりたい!

 3派分裂し、一気に足並みが乱れた!
1983年

8月18日 ロスで新間氏プロデュースによるタイガーマスクの挙式が予定
猪木、坂口、新間氏と なんと馬場夫妻も招待

 馬場夫妻を招いた理由
  タイガーの全日移籍や
  梶原氏が新日から全日に乗り換え模索  

  さらにこの頃、
  プロレス界の二大巨頭である(猪木と馬場)を外して、新世代である鶴田・藤波・長州らで新団体設立の噂が
  流れており、外人引抜戦争を休戦して、一旦、猪木と馬場は協力する動きまで見られたのだ
 
8月上旬 猪木、坂口、新間ら ロスに向けて出発
 
8月10日 佐山は新日本に対して契約解除通知を送付 受け取ったのは、小鉄とテレ朝出向幹部派
 
8月12日 黄金のマスクとチャンピオンベルトを一方的に返上
※猪木、坂口、新間氏はタイガーの引退を海外で知り、身動きがとれない状態
 
8月15日 クーデター3派が集合し、緊急会議

 大塚派 「あくまでも新団体設立」を主張
 小鉄派 「猪木、坂口、新間氏を降格させ新日プロの再建」を主張
 
8月17日 大塚辞表で クーデター計画から離脱
 
8月18日 新間はロスで、馬場夫妻にタイガーマスクのドタキャンを謝罪
 「全日プロでもタイガーマスクを使わないで欲しい」と懇願
 
8月20日 猪木帰国
テレ朝出向幹部から説明を受け、社長辞任を迫られる。
 
8月24日 猪木、新間に対して「もう全て終わりだ。俺が手をついて頼むから新日本を辞めてくれ」と伝える。
大塚氏は新間氏に対して「今は何もいえませんが、アントンハイセルをやめてくれれば全てまとまります」と提言
 
8月25日 朝一番、大塚氏が猪木に「社長、アントンハイセルをやめてプロレス一本で17億の借金を返済すると言ってください。そう言ってくださったら私が話をまとめますと提言

午後、緊急役員会議が開催

小鉄氏が猪木、坂口、新間氏の降格を要求。
「受け入れなければ選手全員で明日からのシリーズをボイコットします」
猪木は自らの社長辞任を表明

結果として、

 猪木社長辞任、坂口副社長辞任、取締役へ降格
 新間氏3カ月の謹慎処分
 小鉄氏代表取締役就任
 マッチメークは、選手会に全面移行(この時点で藤波が選手会会長)
 
 となり、
 小鉄とテレ朝出向幹部派による新体制が発足。

クーデターは一旦、成功を収めたかに見えた。
 
8月26日 ブラディファイトシリーズ開幕
猪木Vsラッシャー木村戦決定(猪木復帰戦)
 
8月28日 田園コロシアム
ラッシャー木村を卍固めで破った猪木は

「てめぇらいいか、姑息なマネをするな!片っ端からかかって来い!全部相手してやる!藤波だって、坂口!お前もだ!」
「オレの首を掻っ切ってみろ!」
と、マイクアピール。

試合後の猪木は
「そんな生臭い話はしたくない。逃げていると思ってもらって結構。モノを考える次元が違う連中とは話をしたくない。ハイセルがどうのと言う人間がいるが、俺は天地神明に誓って不正はしていない。将来の夢よりも目先のギャラが大事だと連中が考えているのもわかった。ならばそれで良いというのが今の俺の考え。とにかくプロレスラーはリング上だ。リングで一つ一つ片付けていきますよ」と話した。
 
8月下旬 新間氏は、クーデターが一枚岩でない事を察知し猪木に知らせた上で
「もう新日プロとテレ朝には見切りをつけて猪木、坂口、前田、高田らで新団体を作りましょう」と持ちかける。
UWF構想である。

しかし猪木からの返答はなく、一旦物別れ。

新間氏はテレ朝の三浦専務に直談判し、今回のクーデター事件を報告
自らの首と引換えにテレ朝出向役員、2名の処分と、クーデター派の粛正を求めた。

新体制でマッチメイカーとなっていた藤波も、どちら付かずの不断さから求心力を失っていき、
藤波は猪木に接近
「タイガー派に騙された。僕自身は一度も猪木さんを裏切るつもりはなかった」と釈明

猪木藤波会談後、

猪木佐山会談も実現し、
猪木は佐山に対して「藤波が全部お前のせいだと言っていたんだけど」事を話し、
これに激怒した佐山は、
「自分は本当に引退して、車の販売を行うつもりだったと」と事実を語った。

猪木は佐山に対し「新間が第3団体設立に動いている」とアドバイスし、新間が構想しているUWFを語った。

また猪木は、長州からも話を聞き、
「マサさんのようにあくまでフリーになりたい」という長州に対して、
「独立をバックアップするから、新団体を作るつもりでやってみろ」とアドバイス。
後にジャパンプロレスの基礎となる「リキプロダクション」が誕生したのだ。

長州に対して寛大な対応を見せた猪木とは別に、説得に失敗した新間は「売り出してもらった恩も忘れ、長州の
身勝手な行動を認めては示しがつきません。馬場さんとも話をして長州を日本マット界から追放処分にしましょう」と
進言したという。

新しい新日本の代表に対して、テレ朝の三浦専務が
「ふざけんな、猪木と坂口を追い出して、何でお前らがそこに居るんだ!猪木を外すならテレビ朝日はもう面倒みないぞ!」と発言し
激怒に怖れ、坂口にシリーズ帯同とマッチメイクを依頼した。

これにより、猪木、坂口の権力下に再び戻る事となり、クーデターは事実上の失敗となった。

大塚猪木会談で、「新日本プロレス興行」という子会社設立
残るは山本小鉄ただ1人となった。
 

11月11日 緊急株主総会開催

猪木の社長復帰、坂口の副社長復帰が議決
大塚氏と小鉄氏は取締役に降格

これに納得しない小鉄氏ではあったが、猪木と社長室で話を行い、
小鉄氏は号泣し、猪木は「話は付いたから」と 新日本クーデターは完全に鎮圧された。

UWF誕生と長州全日マットへ登場
1984年

2月3日 新日本興行主催 札幌大会 藤波vs長州戦に藤原喜明が乱入して入場してくる長州を血ダルマに!
試合をぶち壊された藤波は、雪の中飛び出し、「こんな会社、辞めてやる!」と吐き捨た。

試合前にテロ行為が行われた事に対して新日本興行側は藤原を使って興行を壊したと思い込み、
逆に新日本側も「一旦裏切った人間がなぜ興行を開催できるのか!」
双方が不信感を持ち始め、深い溝が生まれ始めた。
 
4月11日

新間氏がタイガーマスクの復帰とクーデターで追われる猪木の為に用意した、UWF旗揚げ
猪木移籍は実現は困難であったが、ポスターには猪木、タイガー、前田、長州の写真も掲載されていた。
前田、マッハ隼人、ラッシャー木村、グラン浜田、剛竜馬が初期メンバー



当初フジテレビが放映権を持ったなどの噂も流れたが、クーデターによりテレビ朝日は「猪木がいないのならテレビ放送を打ち切る」と意思を見せた事で、後から合流するとはずだったが断念したとも言われている。

猪木に前田に対して「お前が先遣隊の隊長だ!」と前田をけしかけた!? とか
新間だけが勝ってにそう思い込んでいた!?とか?
不透明な部分は多いが、少なからず前田や藤原は後から猪木が合流するとしばらく思っていた。

結局、UWFは新日本のクーデターが生んだ副産物から始まったのだ。

 

5月21日 猪木に移籍の意志がないことを確認した新間は、UWFおよびプロレス界から身を引いた。
6月 藤原喜明と高田伸彦が突然新日本を離脱して、UWFに移籍

長州が6月14日の猪木Vsホーガン戦に乱入した事の責任として、処罰されるとその書類を破り捨てた。
新日本は、猪木Vsホーガン戦をぶち壊した責任以上に、長州と大塚の関係を切り離したかった。



また新日本興行が計画していた新日本プロレス8月26日田園コロシアム大会を、新日本側がキャンセルしたことで、
新日本興行は全日本の馬場と接触し、8月26日田園コロシアム大会を全日本プロレスで開催することのなった。
これはもう完全な裏切り行為となり、クーデター以上に新日本を大きく激震させたのだ。

新日本の子会社が、何と敵対する全日本の興行を行うなど、前代未聞だった。
 
8月24日 新日本プロレス興行は、新日本から撤退
8月25日

長州、浜口、谷津、小林、寺西らに大塚は「全日本のリングでと....」と話を持ち掛け、
長州は
「大塚さん、みんな一蓮托生ですよ。シリーズが終わるまでに結論を出しましょう」と告げたという。
 

8月28日

大塚氏は新日本に対して絶縁宣言
 

9月20日 坂口が長州がWWF遠征に出ることを発表
維新軍も打上げに参加し猪木と共に結束を誓った!
 
9月21日

維新軍団が会見を開き、新日本の退社と、新日本プロレス興行入りを発表
馬場「長州たちが上がってもいいように受け入れ体制を整えておくだけだよ。」と長州全日本参戦を容認発言
長州らの行動に完全に油断していた坂口は
「5匹の狸に騙されたよ。」と吐き捨てた。

新日本に激震はまだこれで終わらず、続けて、永源、栗栖、保永、仲野、新倉、笹崎、カーンも
新日本プロレス興行入りを表明

新日本プロレス興行は長州のリキプロダクションと合併して、新団体「ジャパンプロレス」を設立
猪木は
「暮れには一足早い大掃除ができた」との発言に、
大塚は「....とにかく新日プロが変わらなければ、今後も選手がどんどん辞めていくと思いますよ」反論
 

12月8日 全日本 世界最強タッグリーグ戦の試合後に長州が軍団を率いて乱入


 
12月〜1月 スーパーストロングマシン、ヒロ斎藤、高野俊二も新日本を離脱

12月15日池上本願寺力道山23回忌法要で力道山の墓前で猪木と馬場が握手を交わし、新日本と全日本の間で引き抜き防止協定を締結
マシンらはその関係で、新日本との契約が切れる翌年の3月まで全日本に上がれなくなってしまった



新日本マットで起きた「1983-1984」は前代未聞の結末となり、新日本は興行的に追い詰められた。
馬場全日本と長州ジャパンの圧勝にも見え、一旦ここで落ち着く形となった。

一方 新日本の主力は、猪木、坂口、藤波、木村、星野、コブラ、越中に、
若手だった山田、武藤、橋本、蝶野を底上げして何とか踏みとどまった。


第一次U.W.F崩壊 前田ら5人の戦士 新日マットへ復帰
1985年

1月〜

ジャパンプロレスの道場開きには馬場が現れ、全日本プロレスとの親密ぶりをアピール。
その反面、ジャパンプロレスは全日本から完全独立して独自路線を企てる。

マシンらの新日離脱は、大塚氏がジャパンプロレスの独立とテレビ放映権(TBS)獲得の為、マシンらを新日から引き抜いた。
しかし長州は事前にこの事を知らされておらず、これ以上新日本を敵に回したくないという考えから猛反対する。
この頃、馬場もジャパンプロレスの独立の動きを察知して個人契約を終結する動きを見せ警戒する。

長州は馬場と猪木という二大巨頭に脅威を感じ、これ以上勝手な事をして敵に回すべきではないと考えていた


 

9月〜10月 豊田商事の破産、TV中継の打ち切りで資金源を失ったUWFは崖っぷち状態となり、第一次U.W.Fの崩壊!
UWF側は先に新日本を離脱したカルガリーハリケーンズ(マシン・ヒロ・俊二)や長州ジャパンプロレスと接触し
合同興行の開催で何とか活路を見出そうとしていた。

またそんな状況を把握した馬場も、佐山・前田・高田へ直接接触して、自ら電話で参戦を交渉した。
馬場「全日本はUWFの選手を必要としているから ...とにかく話をしたいんでもう1度電話するから」
前田と高田は馬場との電話に応じたが、佐山は応じなかった。
馬場が欲しかったのは、佐山と前田高田だけだったようで、
水面下で高田をその年の世界最強タッグに参戦させたかったのである。
馬場は新日本の反撃や長州の独立を危惧することもあり、積極的にUWF戦士の獲得に動いていた。

一方UWFは水面下で小鉄と交渉を進める中、若手の安生・宮戸・中野を含めて古巣新日のマットへ上がる事となった。
 
12月6日 新日本プロレス両国国技館 IWGPタッグリーグ公式戦で猪木・坂口、藤波・木村がリングイン後、
スーツ姿で前田日明、藤原喜明、木戸修、高田伸彦、山崎一夫がリングに登場!
猪木、坂口、藤波、健吾と観衆の前で、
マイクを持った前田は「1年半、UWFでやってきたことが何であったのかを確認するためにやってきました」
古巣新日本プロレスに参戦を表明した。


5人の戦士が新日マットに上がった事を馬場に尋ねると「どうしてそんなことを俺に聴くんだ?」
不機嫌な対応だった。

長州の新日復帰
1987年

1月

全日マットに上がってから3年目、長州にとってもターニングポイントが訪れていた。
これまで何かを仕掛けて事件が起きる新日本とは真逆の全日本に対して、何か物足りないを感じていた。
さらにPWFヘビーの防衛後、TVインタビューで
「今年は藤波とも戦いたい」と発言
日本テレビの全日本プロレス中継で、藤波との対戦を口にしたのだ。
これ自体が全日本から見たら非常識な事。

実は1月8日猪木と坂口がジャパンプロレスの長州に会いたいと連絡をして、
INOKI闘魂LIVE第2弾に長州を復帰させようと考えていた
猪木・坂口・長州が密会して ここから長州が藤波との再戦を口にするようになったのだ。

この頃マサ斎藤はケンパテラが起こした事件に巻き込まれ、有罪となり
1986年12月2日に出所するまで一年半にわたり収監されており、そのまま全日本を離脱した。
まだ収監されていたマサ斎藤へ猪木からら一通の手紙が届き、
「また、リングで闘おう」との内容に 斎藤は感激したという。

新日本では、昨年末古巣に復帰したUWF勢が、猪木への挑戦権をかけたトーナメント戦開催
 

2月 2月3日 馬場は、鶴田天龍に加えて長州谷津と話し合いを行い、「これからはお前達4人が全日本を支えて欲しい」と
長州谷津が直接全日本と契約することを求めた。

猪木対UWF代表藤原戦が実現し、猪木が勝利するも下腹部への蹴り(金的?)とチョークスリーパー???の反則と
抗議したセコンドの前田がリングに上がり、猪木へハイキックを見舞いました


前田「アントニオ猪木なら何をやっても許されるのか⁈」

マサ斎藤は2月20日 中野サンプラザ 突然卍がためLIVE (誕生日を祝うライブ)に猪木の前に現れ花束を渡した。
この日から長州は病気を理由に全日本の試合を欠場して3月28日から始まるエキサイトシリーズも出場せず
馬場が説得するも長州の全日本離脱は決定的となり、そのまま新日本へのUターンが噂が濃厚となる。

長州は「チャンピオンカーニバル」から復帰を発表するも、3月いっぱいで完全独立をすることも発表。
長州は新日本と全日本で選手の個別契約にしてシリーズを出場させ、ジャパンの自主興行では新日本と全日本の選手を参戦
するという構想を抱いていたが、谷津や永源らが反発され孤立化される。
 
3月 INOKI闘魂LIVEで猪木Vsマサ斎藤が決定
馬場と大塚もマサ斎藤の意思を尊重して1試合限定が条件だった。
長州の新日本Uターンが秒読み段階に入った。

3月25日 INOKI闘魂LIVEパート2の前日レセプションにマサ斎藤の代わりに参加したが、「チャンピオンカーニバル」にも出場し
全日本に上がり、新日本にも上がるつもりでいた。


大塚は認めず長州を永久処分としたが、ジャパンプロレスの内部も、新日Uターン派と全日残留派に別れ、
浜口は引退、カーンは渡米と分裂しジャパンプロレスは消滅となる。

長州
「このリングには夢がない」と全日本を一方的に去った結果となった。

また大塚も、東スポのインタビューでは当時を振り返り
「クーデターで猪木さん、坂口さんを裏切ってしまった。
ここにきて、当時の猪木さんの言葉が理解できる。」
と思いをよせていた。

新日本VsUWF最終決戦 5対5イリミネーションマッチが実現
新日本(猪木・藤波・健吾・星野・上田)
UWF(前田・藤原・高田・山崎・木戸)
 
  1. ○木村健吾 逆さ押さえ込み、9:10 ×山崎一夫  
2. ×星野勘太郎 アキレス腱固め、15:47 〇藤原喜明
3. ×木村健吾 リングアウト、17:54 〇前田日明
4. △藤波辰巳 両者リングアウト、24:55 △藤原喜明
5. △上田馬之助 両者リングアウト、27:31 △前田日明
6. 〇アントニオ猪木 裸絞め、31:37 ×高田延彦
7. 〇アントニオ猪木 体固め、33:38 ×木戸修
猪木の一人残り勝ち。
4月 両国国技館で猪木Vsマサ斎藤再戦時、リングサイドに陣取り長州が新日の会場に現れた。
猪木のTKO勝ち、そして小林と保永が必死に制止されながらも、ギラギラ燃え上がる久々の長州を見たのだった。

 

長州らの強引なUターンに、馬場と日本テレビは激怒、
しかし長州が強引に全日へ上がった事を考えれば、すべては行動してものの勝ちという感じであった。

1984年 大塚の勝利、馬場の勝ち と思われたが、
1987年 谷津、永源、仲野ら一部を残して長州軍やマシンも新日本に復帰している事実を考えると、
結局古巣青山が良くて、全日本は水に合わなかったという結論に至ってしまう。

編集後記

長州いわく当時全日本に行ったのは猪木さんから「行け」と言われたから???
ならば猪木は どうせ海外修行に行かせたつもりで全日本に行かせた!?
それが日本のプロレスが活性化する唯一の近道!

確かに長州の全日参戦で、
全日本は活性化し、
天龍革命を経て
全日マットが変わっていったのは、間違いない事実なのだ。


だとすると、最後に笑ったのは馬場ではなく、猪木だったのかも知れない!
 



前田Vsアンドレ セメントマッチ

1986年4月29日
三重県津市体育館


試合は、序盤から噛み合わず中盤から膠着状態となり、異様な雰囲気を漂わせたプロレスとなってしまった。

最初アンドレは前田にフルネルソンで全体重をかけたり、前田の喉仏に手をかけたり....
様子がおかしいと察した前田はアンドレのセコンド若松に暴走を止めるようにと言ったという

この状況を察した星野は
「アラキ行け!  行かないと殺されるぞ!」と叫び
前田が「行っていいんですか? 本当に行っていいんですか?」 とやり取りが続く


20分過ぎに異変を感じた猪木も登場 

仕掛けたアンドレではあったが、前田に蹴り続けられリング上で大の字となり、試合放棄のジェスチャー

26分35秒ノーコンテスト

大巨人神話が崩壊して、前田最強伝説が誕生した日となった!?
テレビ放送も急遽お蔵入りとなった

そもそも

第一次UWF崩壊後、新日本に復帰した前田は、相手の技を受けずにハードな打撃を繰り出すUWFのスタイルを貫き、
不快感を抱くレスラーも多く、扱いずらい存在になりつつあった。
そんな前田を 当時新日本の外人のトップであるアンドレが制裁を加えようとしたという!? 説が有力


試合後

アンドレ「t's not my business」
猪木も前田に対して「よくやった」と激励
 

前田自身が『アンドレにセメントを仕掛けられた』と語った
 前田曰く、黒幕は坂口と推測!?
 ただ、これはあくまでも前田の一方的な意見であり、疑問の声もある



橋本真也リンチ事件

1987年6月3日
福岡西日本総合展示場



長州が新日に復帰してまもなく、橋本真也Vs ヒロ斉藤の試合でそれは起こった

長州軍の強引な復帰を歓迎しない人間も多く、
ドン荒川「契約を守らない奴のゴネ得を許していいのか」
橋本「勝手すぎる。俺らとしては許せない感じがある。試合で当たったら遠慮しませんよ」と語っていた

長州軍が新日本マットに復帰して3戦目のカード

第三試合
×橋本真也 11分58秒
セントーン
〇ヒロ斎藤

試合の異変に気付き、控え室からは坂口、高田も顔を出した
セコンドの荒川は「橋本行け行け!」と激を飛ばし
ヒロ斎藤の攻撃を受けることなく、デビュー3年目の橋本がキックを放ち続け斎藤の手の甲を骨折させてしまったのだ
セメント試合である

ドン荒川が橋本を焚き付けられた! とも言われた



しかし試合後
長州軍の控え室に呼び出された橋本は、長州とマサ斎藤に制裁を加えられ鼻血がポタポタ落ちたまま会場を飛び出した。

橋本は巡業から外され、シリーズ全欠場
ヒロ斎藤は次の日から欠場

当時、橋本は高田と行動を共にしており、高田と一緒に旧UWFに行くはずであった
また橋本は前田に憧れており、
前田自身も「気に入らない若手にヤキを入れる!」という長州の行為は許せないものだったのであろう!

ましてや自分が可愛い後輩だったら、なおさらだ

「機会があったら、正々堂々と制裁してやる」
後の長州顔面蹴撃の余波だったのかも知れない



編集後記

若かりし頃の橋本は、第一次UWFが崩壊して新日本のマットに戻った前田とタッグマッチで試合をしている。
ちなみに武藤は若手ポープとして、前田や高田とタッグマッチで対決していた時代

1986年1月22日
ニューイヤーダッシュ’86

タッグマッチ
〇前田日明
木戸修
11分4秒
逆十字固め
力抜山
×橋本真也

下記写真は、1986年3月14日 藤波・健吾・星野Vs前田・藤原・高田の試合で、
新日側セコンドに付く若かりし破壊王と船木
対戦コーナーに前田・藤原・高田がいれるだけに、実に興味わく光景だ
ちなみにUWF側のセコンドは、木戸と山崎(当たり前)



世代闘争


1987年6月12日

長州が2年8ヶ月ぶりに新日マット正式復帰後、まもなくそれは突然やってきた
その日のメインイベント 猪木Vsマサ斎藤戦 いつまで経っても 俺たちの時代が来ない長州がリングに上がった



長州 「藤波、俺たちは自分たちの時代を作るために3年間、叫んできたんだぞ!」

長州 「前田、お前は噛みつかないのか!?今しかないぞ、俺たちがやるのは!」

猪木 「会場のみなさん聞いてくれ! てめえらいいか! その気で来るんなら俺が受けてやるぜ!」

長州 「ようし!やったろう!」

猪木 「てめえらの力で勝ち取ってみろ このヤロー」

前田 「ごちゃごちゃ言わんと、誰が一番強いか決めたらええんや!」
 

藤波 「やるぞー」

長州の呼びかけに呼応した、藤波、前田、木村、マシンらがリングへ上がる
一方の猪木は、マサ斎藤、坂口、藤原をナウリーダー軍に引き入れる
世代闘争が始まった

1987年8月19日 イルミネーション 両国国技館

× アントニオ猪木
坂口政二
藤原義明
星野貫太郎
武藤啓司
25分5秒
新世代軍2人残り
藤波辰巳
長州力
前田日明
SSマシン
木村健吾

1987年8月20日 両国国技館
× アントニオ猪木
×武藤啓司
体固め 藤波辰巳
○長州力
1987年9月17日 イルミネーション 大阪府立体育館
アントニオ猪木
坂口政二
マサ斉藤
藤原義明
ディック・マードック
28分8秒
旧世代軍2人残り
藤波辰巳
長州力
前田日明
SSマシン
高田延彦
×
1987年10月6日 イルミネーション 札幌月寒
× 坂口政二
藤原義明
ジョージ高野
高田延彦
武藤啓司
14分50秒
新世代軍4人残り
藤波辰巳
長州力
前田日明
SSマシン
木村健吾

1987年10月19日
木はパートナーXを引き連れ藤波、長州と激突
Xは若手の山田恵一

富士市立富士体育館大会
× アントニオ猪木
×山田恵一
体固め 藤波辰巳
○長州力

これは藤波と長州に対し完全になめた人選で
はりきる山田を長州が1分で怒りのラリアットで勝利

しかし納得いかず、猪木vs 藤波・長州のハンディキャップマッチが実現

藤波が猪木にサソリをかけたところに長州は藤波にラリアット
これで新世代は空中分解

猪木にとどめを刺すのは自分だとアピールする長州
長州から始まった世代闘争も新世代が自爆し終わった


編集後記

長州はこの後猪木からピンフォールを奪い、一旦革命を終える
しかし 猪木に一回勝ったからといって
やはり猪木を超えた事にはならない

それは長州だけではなく、藤波も前田も
もしかしたら、この頃は猪木より強かったかも知れない

それは猪木が人間である以上、必ずそういった時期が訪れるだけであり、
猪木が創った伝説を超える事はとても険しい
のだ



前田 長州顔面蹴撃事件

余波 その1.

正規軍vs維新軍 4対4 綱引きマッチ
1983年11月3日
蔵前国技館

ヨーロッパ王者として欧州修行から帰国した前田
新日本は対維新軍とIWGP抗争のど真ん中
そんな中、前田と長州のシングルマッチが実現した


長州の数分間に渡るサソリ固めに無念のレフェリー・ストップ負け

この試合後前田は これから起こる事件の予兆となる感覚を抱いていた!?

前田「サソリ固めをかけられてギブアップしたのに離してくれなくて落ちそうになったんだよ俺
腰も痛めたし それ以来ずっと、こいつはこういうことをやるから気をつけた方がいいなというのがあって」....

4対4 綱引きシングルマッチ
×坂口征二 8分11秒
反則
○アニマル浜口
×前田日明 12分57秒
サソリ固め
○長州力
▲藤波辰巳 14分14秒
両者リングアウト
▲キラーカーン
○アントニオ猪木 9分48秒
延髄斬り
▲谷津嘉章

余波 その2.

1987年6月3日 ドン荒川に焚き付けられた?デビュー3年目の橋本がヒロ斎藤にセメント試合を仕掛けた。
試合後、長州とマサ斎藤にリンチされてしまい、

当時前田に憧れ、高田と行動を共にしていた可愛い後輩の橋本に対して、
「気に入らない若手にヤキを入れる!」という長州の行為は許せないものであろう!
「機会があったら、正々堂々と制裁してやる」後の長州顔面蹴撃の余波だったのかも知れない

余波 その3.

1987年 第一次UWF崩壊後、新日本に参戦した前田は当初はUWFスタイルを貫いていたが、
徐々に試合も噛み合い始めていた

そんな中、長州も新日へ復帰してリングのど真ん中に立っていた!

その頃の前田は、アンドレとのセメント試合や猪木を批判し、新日本にとって「扱いづらい」状態になりつつまった



6月12日 両国国技館

猪木マサ斎藤の試合後に長州が「世代闘争」をアピール
藤波や前田に「今しかないぞ、今こそ新旧交代だ。お前らは噛み付かないのか!」と呼びかけたのだ

この時前田は、
「世代闘争とかごちゃごちゃ言わんと、誰が一番強いか決めたらええんや」と発言

そして

長州と藤波が仲間割れ、
長州「俺が先にトップを走ってやる!」

前田にしてみれば、
巻き込まれ、よく分からないうちに勝手に終わった 状態となっている。
この時点で前田は対長州へさらなる特別な思いをもっていたと考えられるのだ!


そんな中、事件は起きた!

1987年11月19日
後楽園ホール

試合中、前田は木戸へのサソリ固めに入った長州の背後から顔面にキック
長州の右目を直撃し、見る見るうちに右目が腫れあがる
長州は骨折の大怪我


マサ斎藤「落ち着け。なんでこんなことしなきゃいけないんだ?」
怒りの収まらない長州は前田に殴りかかるが、前田は自らのアゴを突き出し「ここを殴らないと効かないぞ」のアピール
この挑発アピールを横で見ていた高田がすかさず前田の手を握り止めにかかる!


レフェリーのミスター高橋まで「何やってんだ!」と激怒
試合は長州が高田にラリアットでフォール勝ちしたが、リング内は騒然状態だ

6人タッグマッチ
前田日明
×高田延彦
木戸修
ラリアット 〇長州力
マサ斎藤
ヒロ斎藤

 猪木「相手に怪我をさせる行為は、プロレス道にもとる」と前田の行為を批判

 長州は骨折 約1ヶ月の欠場
前田は無期限での出場停止処分となり、翌年3月1日に新日本プロレスを解雇
そしてその2ヶ月後には前田は新団体 第二次UWFを発足

 

前田がどうして このような行為に至ったのか!?

1 当時 天龍革命により天龍と輪島が壮絶なプロレスを行ってやり、
その映像を見た前田は「俺たちはこの上を行かなきゃいけない」と触発された。
「決して右目は狙ったわけでなく、その瞬間に長州さんが横を向いたから」
「長州さんは自分を信じていなかった」と述懐が残っている
2 藤原と木戸は、新日本と個人契約を結んだ。
前田は新団体を作るため、資金をプールしており、リングで存在感を示さなければならないという焦りがあったのでは?

また

書籍 証言UWFの真実では、
「オレが真剣に100%で蹴ってたらあの日が長州力の命日だったよ、間違いなく」と語っている

2012年 長州と高田延彦のトークショーにて
長州「お前、あれ、マジで怪我させるつもりで蹴っただろ。今なら許してやるから正直に言え」と言うんだけど、
アキラは、
「違いますって!兄さんが変な風に、体をひねるから!」とその胸の内を語っている。

また前後して前田-武藤の座談会でも、武藤の同様の質問に
前田は、
「長州さんが自分を信用せずに体をひねるから....」と答えている

 

さらに

2019年6月 長州ラストマッチ目前に前田が東京スポーツのインタビューでこの事を語っている。

⇒1987年11月の顔面蹴撃事件に
 前田 「しょうがないよ。お互い立場があって、俺の場合は(UWF)みんなをメシ食わさないといけなかった。
身をていしてもなんとかしないと、と思っていたからさ。」


⇒今ではお互い水に流して…
 前田 「いや、向こうはあくまでも俺が狙ってやったと今でも思ってるんだよ。根に持ってるよ、長州力。
だから面白いんじゃない。聖人君子じゃあるまいし、生身の人間だから面白いんだよ。」


⇒改めてどういう出来事だったか
 前田 「周りの反応がすごい意外だったんですよね。猪木さんまで「プロレス道にもとる」とか言ってさ。
猪木さんだってグレートアントニオが動かないからって、ガンガン蹴って血だらけにしてるじゃない。
そんなことしておいて何で俺が「プロレス道にもとる」んだって。」


⇒長州をアマ格闘技「アウトサイダー」の会場に呼んだことも
 前田 「一時期はヒクソン(グレイシー)とやるとか話あったんだけど、
もしやってたら、ヒクソンは絶対、長州力をテークダウンできない。賭けてもいいよ。」


⇒勝ってた可能性も
 前田 「勝つか負けるか、そこまでは言いたくないんだけど…テークダウンできないんだから(ヒクソンは)勝てないでしょ。
反対に引き倒して、上に乗って(ポジションを)変わんなくていいなら全然…勝てるんじゃないの? パウンドで十分だよ。
全く関節(技を)知らないわけじゃないしさ、あの人。
いやー、ヒクソンとやるとこ見たかったね。」やってあの人が下手打ったら、俺が出ていく、みたいな。」


⇒最後に
 前田 「勘太郎さんや小鉄さんのように、60代で突然亡くなってしまう話、この業界で聞くから健康だけは気をつけてほしいね。
やっぱり、年取ってわけの分からん頑固ジジイになって、ギャンギャン言っている姿を見たいね。」



飛龍革命


1988年4月22日
沖縄県立奥武山公園体育館

それは
アントニオ猪木・藤波辰巳VSマサ斎藤・ビックバンベイダー
試合終了後の控え室で勃発した。


いつまでもメインを張り続ける猪木に対して、藤波が自らの前髪を切って改革を訴えった。


試合後の選手控室


藤波「ベイダ―とやらせてくださいシングルで」


猪木「え?」

藤波「ベイダ―とやらせてくださいシングルで。今日僕何もやってないです。
もういい加減に許してください。もう一回オレ、繰り返しますよまっすぐ。
自分の思うことをやります。お願いします。
はっきりしてください猪木さん。
東京と大阪と二連戦無理です。はっきり言って。
オレ、自分が今日…まあ負けてね…言える立場じゃないけど…オレらは何なんですか俺らは!」

猪木「本気かい…ええ?」
藤波「本気の…つもりです」

猪木「命かけたのか命を。勝負だぜお前、この場は」
藤波「もう何年続くか何年これが!」
猪木「だったらぶち破れよ なんで俺にやらせるんだあお前」

藤波「じゃあやらせてください大阪をー!いいですか?やりますよー大阪で!」

猪木「あ?俺は前から言ってる遠慮なんかするこたあねえって!
リングの上は戦いなんだからよ。先輩も後輩もない。
遠慮されても困るよお前。なんで遠慮するんだお前。」

藤波「遠慮してんじゃないです。
これが流れじゃないですか、これが新日本プロレスの!ねえ、そうじゃないっすか?」
猪木「じゃあ力でやれよ力で!」

藤波「やりますよ」
猪木「ああ?ああ?やれるのか本当にお前!」
藤波「やりますよ」




藤波「ほっといてください!俺のこと!」
猪木「ああ?」
藤波「ええ!」
猪木「いけるかい?ええ?」

藤波、ハサミを取り自身の髪を切る

藤波「やりますよ。やりますよ。」
猪木「待て待て。待て。」
藤波「いらないですよこんなもの」
猪木「よおし」

藤波「こんなんなってもお客さん呼びますからね。
このー。もう猪木さんいっちょクソみそもないですよこれ オレ負けても平気ですよ。
負けても本望ですよこれでやるんだったら!」

猪木「やれやそんなら」
藤波「やります」
猪木「ああ」

藤波「手ぇ出さないで下さいよ」
猪木「オッケーイ。オレは何も言わんぞもう。やれよそのかわり!」

藤波「やります」
猪木「よおし」
藤波「大阪で俺の進退かけます。だったらいいですか?」

猪木「なんだっていいや。なんだって言ってこいや!遠慮するこたあねえよ」
藤波「もういいっす」
猪木「よおし」

 


その結果は藤波は

5月8日 有明コロシアムでIWGPヘビー級王座決定戦
〇藤波辰巳 16分2秒
反則
×ビックバンベイダー

猪木は足の甲を骨折して戦線離脱 IWGPヘビー級のベルトも返上
王座決定戦でビッグバンベイダーを破り、ベルトを獲得 IWGPヘビー級チャンピオンとなった

8月8日 横浜文化体育館 IWGPヘビー級選手件
△藤波辰巳 時間切れ引分 △アントニオ猪木

 試合後、猪木が藤波の腰にIWGPのベルトを巻き、猪木は藤波を認めたとともに、
長州と越中が猪木と藤波をそれぞれ肩車して、ねぎらった。



新日本Vs誠心会館 他流試合勃発



「控室のドアを閉めろ」
1991年1月
新日本プロレス
後楽園ホール
控室



新日に参戦していた青柳館長に門下生が所用で控室に訪れた際、
「控室のドアを閉めろ」と、小林邦昭と些細な事で口論になり
小林邦昭に誠心会館の門下生がボコボコにしてしまった。

この事態に青柳館長の弟子斎藤彰俊が激怒し、小林邦昭や越中詞朗と抗争状態に発展
最初、青柳館長は中立の立場であったが、途中から収拾がつかなくなり、戦いに参戦した

  

他流試合
1992/01/30 大田区体育館 ×小林邦昭 7分10秒
TKO
○斉藤彰俊
1992/02/08 札幌中島体育センター ×小原道由 6分15秒
KO
○斉藤彰俊
1992/02/10 名古屋レインボーホール 小林邦昭
○越中詩郎
4分58秒
裸絞め
斉藤彰俊
×田尻茂一
1992/03/09 京都府立体育館 小林邦昭
○越中詩郎
6分39秒
TKO
×斉藤彰俊
青柳政司
1992/03/09 京都府立体育館 ○小林邦昭
越中詩郎
1分17秒
裸絞め
青柳政司
×来原圭吾
1992/04/12 大阪臨海スポーツセンター ×越中詩郎 11分46秒
KO
○斉藤彰俊

看板を賭けた最終決戦
1992年4月30日
新日本プロレス
両国国技館

1992年5月1日

新日本プロレス
千葉ポートアリーナ

看板を賭けた最終決戦
1992/04/30 両国国技館 ○小林邦昭 9分15秒
腕固め
×斉藤彰俊
1992/05/01 千葉ポートアリーナ ○越中詩郎 12分1秒
KO
×青柳政司

 小林に看板を奪われ挑んだ青柳ではあったが、越中のドラゴンスープレックスでKO敗け

 試合後、長州
「看板を返してやれ」 

看板返却へ動いたが、誠心会館側はこれを拒否

 青柳
「せっかくだが、看板は試合に勝たなきゃ、もらえん」

 長州
「戦うチャンスはやる」

看板を奪われた状態の青柳館長
誠心会館自主興行に小林に参戦を直訴
1992年5月29日
新日本プロレス
愛知県岡崎大会

新日本は、小林の参戦を拒否



小林、無断で誠心会館自主興行参戦
1992年6月5日
誠心会館
名古屋国際会議場

誠心会館 自主興行
△小林邦昭 16分45秒
レフリーストップ
青柳政司

小林は青柳館長の熱意に打たれ、無断で参戦

試合が終わり、小林「館長、これ(看板)を受け取ってくれ」と思いをぶつけ
青柳も今回は素直に頭を下げ看板を受け取る。

しかし、 新日本選手会と無断で試合をした小林との間に亀裂が入り、
小林に青柳、斎藤、越中、さらに健吾も加わり
反選手会同盟 やがて平成維震軍 の抗争が始まった。


 



新日Uインター全面戦争勃発
ドームで
Uは消してやる



1995年8月24日
山崎一夫の新日移籍をめぐるトラブルを経て、
長州と高田の電話会談で全面対抗戦が実現

開戦
1995年9月23日
横浜アリーナ
新日本プロレス

タッグマッチ
長州力
×永田裕二
10分06秒
腕ひしぎ逆十字固め
安生洋二
○中野龍雄

10.9 東京ドームの前哨戦として、長州が自ら出陣し、
自らのタッグパートナーに、この日、2試合目となる永田を指名。

壮絶な闘い、永田安生の両者の顔が腫れ上がってしまいました。



そして試合後、長州は、

 
「おれはでもこれは〜あの〜別に、俺は行ってもいいなとは思うけど、
 もう差があり過ぎる。
 まあ何回も言ってきたけど、俺には通用しない。そういうものは。
 安生は最初の1分で押さえられて極まってるよ。
 あれは完全に無防備の状態だもん。俺のグラウンドは、相手を押さえたりするのは。
 相手何もできない状態だもん。」

「いやいやそんなことはは言わない。ただ俺のグラウンドのスタンスから言わせれば
 差があり過ぎる。
 それは多分彼も、それは当然だろうと思うよ。
 だって、あれは本当に俺がプッツンとキレたら、その状態で入っちゃってるもんな。」

「格闘技ってものは、やっぱりねえ。いくらグッドシェイプしてウェイトを落としたってねえ、
 そのウェイトを維持してグッドシェイプしてトレーニングしたヤツとの差っていうのはね、
 これはね、いかんせん縮める事はできないんだよ。

 うん。そう船木んとことかね。
 これ絶対無理だよ。おん。

 俺はそういうものを全て経験してきたんだから。
 うん。
 ただ〜よく言うただのデブを押さえつけるわけじゃなくて 多分今日、
 みんなウェイトの差がハッキリでてるね。うん。
 あれが本当に彼らの言うサブミッション、コツで押さえてるんなら、
 俺たちの腕なんか極めなきゃいけないよ。
 反対にあえて俺チャンスいくらでもやってんだから。うん。
 多分ブルアップしてるね。腕の力で」

「それはもう。俺はやっぱりアントニオ猪木の下ですから。
 育って、ねえ、
 色んな闘いしてきて。
 俺を切らしたらたいしたもんだよ。
 俺を切らしたらリングを下ろしてないよ。まじで」

 

インタービューに答えた

全面対抗戦
1995年10月9日
東京ドーム
新日本プロレス
観衆6万7000人

対抗戦
○石沢常光
永田裕志
10分47秒
三角絞め
金原弘光
×桜庭和志
○大谷晋二郎 7分18秒
羽根折り腕固め
×山本喧一
×飯塚高史 7分39秒
腕ひしぎ逆十字固め
○高山善廣
×獣神サンダー・ライガー 10分14秒
猛虎原爆固め
○佐野友飛
○長州力 4分45秒
サソリ固め
×安生洋二
×佐々木健介 9分13秒
膝十字固め
〇垣原賢人
〇橋本真也 7分20秒
三角絞め
×中野龍雄

試合後、長州は、「キレましたか?」の質問に
キレちゃいないよと返した。

そして、メインイベントへ


IWGPヘビー級選手権(60分1本勝負)
○武藤敬司 16分16秒
足4の字固め
×高田延彦




ALL-OUT CONTEND BATTLE
1995年10月11日
大阪府立体育館
UWFインターナショナル

対抗戦
石沢常光
×安田忠夫
7分46秒
ヒザ十字固め
金原弘光○
桜庭和志
○佐々木健介 7分49秒
ストラングルホールド
×中野龍雄 
長州力
×永田裕志
9分38秒
裸締め
安生洋二
○垣原賢人

 ALL-OUT CONTEND BATTLE
1995年10月28日
国立代々木競技場
UWFインターナショナル

対抗戦
×大谷晋二郎 10分34秒
裸締め
○山本健一
×高岩竜一 6分42秒
ヒザ十字固め
○金原弘光
○金本浩二 9分26秒
腕ひしぎ逆十字固め
×桜庭和志
×ヒロ斉藤 11分3秒
腕ひしぎ逆十字固め
○佐野直喜
○佐々木健介 7分48秒
ストラングルホールド
×高山善廣
橋本真也
×野上彰
10分52秒
ワキ固め
○垣原賢人
中野龍雄
×蝶野正洋 8分17秒
変形足4の字固め
○安生洋二

 動乱 OCTOBERSURPRISE
1995年10月29日
マリンメッセ福岡

対抗戦
×大谷晋二郎 9分1秒
腕ひしぎ逆十字固め
○金原弘光
○飯塚高史 6分25秒
アキレス腱固め
×桜庭和志
○佐々木健介 9分14秒
ストラングルホールド
×安生洋二 
○獣神サンダーライガー
金本浩二
15分46秒
逆エビ固め
佐野直喜
×山本健一
武藤敬司
×永田裕志
15分46秒
逆エビ固め
○垣原賢人
高山善廣

 ALL-OUT CONTEND BATTLE
1995年11月25日
両国国技館

対抗戦
○飯塚高史 5分45秒
ヒザ十字固め
×金原弘光
×石沢常光 7分42秒
腕ひしぎ逆十字固め
○佐野直喜
○長州力 5分45秒
フロントネックロック
×中野龍雄
×安田忠夫 6分25秒
足首固め
○垣原賢人
○蝶野正洋
天山広吉
11分15秒
変形羽交い締め
安生洋二
×高山善廣

 バトル・ファイナル’95
1995年12月10日
愛知県体育館
新日本プロレス

対抗戦
○石沢常光 7分14秒
ヒールホールド
×桜庭和志
○永田裕志 7分17秒
逆エビ固め
×山本健一
○蝶野正洋 5分39秒
羽根折り固め
×安生洋二

 突然卍固め−INOKI FESTIVAL
1995年12月30日
大阪城ホール
新日本プロレス

対抗戦
○西村修 4分20秒裸締め ×山本健一
×馳浩 10分28秒
変形足4の字固め
○安生洋二

 '96 WRESTLING WORLD IN 闘強導夢
1996年1月4日
東京ドーム
新日本プロレス

対抗戦
○永田裕志
石沢常光
大谷晋二郎
10分15秒
腕ひしぎ逆十字固め
×山本健一
桜庭和志
金原弘光
○長州力 5分46秒サソリ固め ×垣原賢人

IWGPヘビー級選手権
×武藤敬司 17分57秒
腕ひしぎ逆十字固め
○高田延彦

ベルトを獲得した高田が、橋本・健介・蝶野の名前を出して、 宣戦布告した。

 

1996年2月3日
札幌中島体育センター
新日本プロレス
60分3本勝負
永田裕志
石沢常光
大谷晋二郎
高岩竜一
〇高岩(片エビ固め)桜庭×
×永田(ヒザ十字)垣原〇
×高岩(ヒザ十字)山本〇
垣原賢人
金原弘光
桜庭和志
山本健一

 

1996年2月4日
札幌中島体育センター
新日本プロレス
飯塚高史
金本浩二
〇ブラックキャット
永田裕志
腕固め 垣原賢人
金原弘光
桜庭和志
×山本健一

 

1996年2月9日
仙台市体育館
新日本プロレス
IWGPタッグ挑戦者決定リーグ戦
西村修
小島聡
? 安生洋二
高山善廣

 

1996年2月25日
両国国技館
新日本プロレス
IWGPタッグ選手権
〇橋本真也
平田淳嗣
12分13秒
三角絞め
安生洋二
×高山善廣

高田Vs越中 IWGP
1996年3月1日
日本武道館
UWFインターナショナル

対抗戦
×大谷晋一朗 7分35秒
スリーパーホールド
〇垣原賢人
×山崎一夫
飯塚高史
12分42秒
変形足四の字固め
〇安生洋二
高山善廣
〇武藤啓司 14分30秒
足4の字固め
×佐野友飛

 

IWGPヘビー級選手権
越中詞朗 10分53秒
腕ひしぎ逆十字固め
高田延彦

 

1996年3月23日
宮城県スポーツセンター
UWFインターナショナル
〇木村健吾 6分6秒
パワーボム
×金原弘光
×斎藤彰俊 5分50秒
ヒザ十字固め
〇垣原賢人
小林邦明
〇野上彰
9分32秒
ジャーマン
スープレックスホルド
安生洋二
×山本健一
〇高田延彦
佐野友飛
12分46秒
腕ひしぎ逆十字固め
越中詞朗
×小原道由

 

1996年3月25日
両国国技館
新日本プロレス
武藤敬司
〇獣神サンダー・ライガー
ライガーボム 高田延彦
×佐野直喜

高田はダブルバウトに拘り、パートナー佐野を見殺し なんとも歯がゆい試合

1996年3月26日
東京体育館
新日本プロレス
武藤敬司
佐々木健介
? 安生洋二
高山善廣

 

1996年4月19日
大阪府立体育会館
UWFインターナショナル
長州力
〇佐々木健介
10分40秒
エビ固め
高田延彦
×金原弘光

96BATTLE FORMATION
1996年4月29日
東京ドーム

IWGPヘビー級選手権
○橋本真也 12分33秒
三角締め
×高田延彦

1996年6月17日
日本武道館
UWAライトヘビー級王座決定戦
○大谷晋二郎 チキンウイング
フェースロック
×桜庭和志

 

1996年6月26日
名古屋レインホーホール
UWFインターナショナル
番外戦
藤波辰爾
〇藤原喜明(藤原組)
アキレス腱固め 高田延彦
×垣原賢人

1996年9月11日
神宮球場
「SUDDEN DEATH」
UWFインターナショナル
○佐々木健介 8分43秒
体固め
×垣原賢人
○橋本真也 11分43秒
体固め
×佐野友飛

この大会で天龍Vs高田が実現、
また全日本プロレスから川田が参戦し高山と戦っています。

UWFで実現したオールスター戦のようか大会でした。

○川田利明(体固め、8分29秒)高山善廣
○高田延彦(腕固め、19分30秒)天龍源一郎



馳浩
新日本引退と全日本入団



  

馳浩は、1984年のロス五輪代表という実績の下に長州のジャパンプロレスに入団し、
1987年新日本マットでデビュー、その後小林邦昭を下さしIWGPジュニアヘビー級王座を獲得、
ヘビー級転向後は、健介と馳健タッグを結成し、闘魂三銃士を追撃していた。


Jrヘビー級時代 主な戦い

1987年12月27日 IWGPジュニアヘビー級選手権 ×小林邦明 17分3秒
ノーザンライトスープレックス
〇馳浩
1988年3月11日 IWGPジュニアヘビー級選手権 〇馳浩 18分57秒
ノーザンライトスープレックス
×高田延彦
3月19日 IWGPジュニアヘビー級選手権 〇馳浩 19分44秒
ドラゴンスープレックス
×越中詞朗
5月8日 IWGPジュニアヘビー級選手権 〇馳浩 18分10秒
ノーザンライトスープレックス
×越中詞朗
5月27日 IWGPジュニアヘビー級選手権 ×馳浩 13分7秒
高角度後方回転エビ固め
〇オーエン・ハート
1989年1月16日 IWGPジュニアヘビー級選手権 〇越中詞朗 16分42秒
首固め
×馳浩
2月8日 IWGPジュニアヘビー級選手権 〇越中詞朗 16分10秒
反則
×馳浩
3月16日 IWGPジュニアヘビー級選手権 ×越中詞朗 14分56秒
ノーザンライトスープレックス
〇馳浩
5月25日 IWGPジュニアヘビー級選手権 ×馳浩 8分39秒
ライガースープレックス
〇獣心ライガー

  

ヘビー級時代 主なシングル戦

1991年9月 ×馳浩 19分20秒
足4の字固め
〇藤波辰巳
1991年12月 巌流島 〇馳浩 1時間11分24秒
KO
×タイガージェットシン
1992年1月 ×馳浩 10分9秒
卍固め
〇アントニオ猪木
1993年9月 ×馳浩 19分7秒
WARスペシャル
〇天龍源一郎



馳健タッグでのIWGPタッグ王者や
武藤とSGタッグリーグ戦2度優勝
またムタと壮絶流血マッチを実現



参議院選挙に立候補
1995年7月

馳浩 新日本プロレス引退
新日本プロレス
1996年1月 東京ドーム

1995年1月4日
東京ドーム
×馳浩 16分36秒
ノーザンライトボム
○佐々木健介

馳は参議院議員に当選
議員レスラーとしてまだまだこれからと考えていた矢先、

長州は、兼業は無理との判断で強引に馳の引退を発表し
引退試合(1996年1月の東京ドーム)が行われてしまったのだ。


馳も後のインタビューで
「勝手に発表されて引退しなくて いけないように状況になっていた」
と....

馳浩 全日本プロレス入団
全日本プロレス
1996年 11月

 

なんと馳に続けて馬場がリングに上がり、馳入団を発表

全日デビュー戦は、志賀と前座マッチ

ヘビー級時代 主なシングル戦

1997年8月26日 札幌中島体育センター ×馳浩 32分49秒
ラリアット
〇小橋建太
1998年5月1日 東京ドーム ×馳浩 26分35秒
エクスプロイダー
〇秋山準
1999年5月2日 東京ドーム ×馳浩 20分55秒
垂直落下式ブレーンバスタ
〇川田利明
1999年9月4日 日本武道館 ×馳浩 15分11秒
のど輪落とし
〇田上明
2000年1月9日 福岡国際センター ×馳浩 24分42秒
ランニングエルボー
〇三沢光晴

四天王・秋山と対戦するも、いずれも「馳強し!」を感じた試合となり、
全日本のマットでは珍しくグランドの攻防を見せたが、いずれも敗北!

元新日本で現在二足のわらじを履く議員レスラーVs全日本エースレスラー(四天王) の対決では、
最初から馳が勝利するという構図はなかったのであろう!

逆にこの時点で馳が勝利したら、大変な事になっていたであろう!
もしかしたら、この敗北は全日マットでプロレスができる為の代償だったのかも知れない!

2001年
馬場の死去と全日本分裂時も、馳は全日本に留まり、
翌年「BATT」を結成していた武藤が全日本に電撃移籍時の「黒幕」と噂さされた。

さらに10月には、新日本の大会に武藤と組んで、永田と秋山(NOAH)と対戦している。

2001年10月8日 新日本プロレス
[INDICATE OF NEXT]

武藤敬司
×馳浩(全日本)
28分4秒
バックドロップホールド
 〇永田裕志
 秋山準(NOAH) 

2003年
長州力のWJプロレスに旗揚げ戦から参加

2006年8月27日
現職の文部科学副大臣として全日本両国大会で引退









続きへ

1997年 橋本小川の仁義なき戦い
2002年 武藤全日移籍 長州WJ設立 〜新日ど真ん中まで
2003年 なにコラ!タココラ!問答
2004年 禁断の出戻り男・健介を 永田がケンカ制裁
2004年 西村の長年に渡る長州への深い憎悪を虚しく、長州に吐血KO敗け
2011年 どうにも歯がゆい諏訪魔の新日大嫌い戦争
2015年 遺恨の炎をくすぶらせ、諏訪魔が恐ろしい相手を敵にした!
2019年 外敵KENTAが新日ど真ん中で巻き起こしたBefore & After

  
新日のイデオロギー闘争の中、ちらつく全日本の影!

全日本は、設立時日テレと百田家の協力により全米トップクラスの外人を招待でき、
さらに鶴田というプロレス界の逸材も手にした豪華プロレスだった。

また長州が全日本に登場した事で、対外人の豪華プロレスから軍団抗争や日本人対決という
これまでなかった文化が導入され、その結果として天龍革命へとつながった。
さらに天龍革命によって鶴田Vs四天王の戦いから四天王プロレスが生まれた。

新日本の真似となった 大仁田のJrヘビー級、三沢タイガー、馬場と空手家の対決
横綱輪島の登場も創造したものではなく、
そしてハンセン、キッド、ベイダー、ウイリアムスと新日が育てたレスラーが
馬場全日本の後半を支えた。

第一次UWF崩壊時、馬場は佐山・前田・高田の獲得にも動いていた。

何もないところから常に創造した新日本に対して、
常にその時代の旬を取り込もうとしただけの全日本は
やはり真逆の存在だったのであろう。

新日本が創造プロレスだとすると、全日本は既製品プロレスなのかもしれない。
 

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