TOP > 猪木神話 > 新日イデオロギー闘争 PartII

そのリングは決して平穏無事ではない!

常に何かを仕掛けて、何か事件がおき、
リングのど真ん中に、裏切りと復讐と感情の縺れが存在する
過激なリングになっていた

それは新日本しかわからない、熱く燃えるイデオロギーの戦いの歴史である

( 新日本で起こった抗争、遺恨、決着、事件)

 

新日本 イデオロギーの歴史

1981年 国際プロレス崩壊 R木村が猪木に挑戦
1983年 長州革命 俺はお前のかませ犬じゃない
1983年 クーデター事件 UWF誕生〜長州全日マット登場、そして復帰まで 
1986年 前田Vsアンドレセメントマッチ
1987年 橋本真也リンチ事件
1987年 世代闘争
1987年 前田 長州顔面蹴撃事件
1988年 飛龍革命
1991年 新日本Vs誠心会館 他流試合
1995年 新日Uインター全面戦争
1996年 馳新日本引退と全日本入団

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1997年 橋本小川の仁義なき戦い
2002年 武藤全日移籍 長州WJ設立 〜新日ど真ん中まで
2003年 なにコラ!タココラ!問答
2004年 禁断の出戻り男・健介を 永田がケンカ制裁
2004年 西村の長年に渡る長州への深い憎悪を虚しく、長州に吐血KO敗け
2011年 どうにも歯がゆい諏訪魔の新日大嫌い戦争
2015年 遺恨の炎をくすぶらせ、諏訪魔が恐ろしい相手を敵にした!
2019年 外敵KENTAが新日ど真ん中で巻き起こしたBefore & After
 

橋本小川の仁義なき戦い


第1戦 プロレスVs柔道
1997年4月12日
東京ドーム


異種格闘技戦
時間無制限1本勝負
×橋本真也 9分52秒
スリーパーホールド
○小川直也

 元柔道王小川のプロ転向初戦。
この時点で橋本は闘魂伝承として猪木に認められていた存在だったが、
猪木が小川サイドに付いた事で、単なる異種格闘技戦とは異なる雰囲気でなった。

この時点では、この後の戦いを誰もが予想できなかった。

 試合は、小川がSTOからスリーパーで勝利を納め
橋本は、IWGPのベルトを賭けての再戦を直訴し、大阪ドームでの再戦が決定した。

第2戦 橋本ベルトを賭け再戦
1997年5月3日
大阪ドーム

IWGPヘビー級選手権
60分1本勝負
○橋本真也 10分20秒
TKO
×小川直也

後がない橋本は、プロ2戦目の小川に対して、非情な顔面蹴りで勝利
セコンドの佐山がタオルを投入しTKO勝ちとなった。

試合が終わっても中々立ち上がけない小川に、
橋本強しの印象とともに これで終わったかの印象を大きく与えた試合であった。

第3戦 ガチンコ
1999年1月4日
東京ドーム

 

時間無制限1本勝負
橋本真也 6分58秒
無効試合
小川直也

小川は前回の対決後、新日のリンク゛で異種格闘技戦を中心に行っていたが、
猪木がUFOを旗揚 エースとなった。
肉体改造と柔道着を捨てた事で、以前の面影は薄くなっていた。

先に入場した小川は、橋本に対して「死ぬ覚悟があるのなら、リングに上がって来い!」とマイクアピール。
小川と敵対しているはずであったゴールドがまるで用心棒のようにぴったり小川にセコンドに付き、
UFO軍が最初からやる気だった事が伺えた。

試合は、小川が顔面キックなどの無法なファイトを繰返し、一方的に橋本を戦意喪失に追いやった。
結果は無効試合となったが、どちらが勝ったかは明白であった。


 無効試合の判定後、リング中央で
「もう終わりかよ! オイオイオイ、冗談じゃねえぞ、オラ!
 新日本プロレスのファンの皆様、目を覚ましてください!」
とマイクアピール

両陣営が入り乱れての大乱闘に発展、

長州「それがおまえのやり方か」と小川に詰め寄る場面もあり、
もはや興行を度外視した一触即発な状態となり、
セコンドの飯塚に殴られた村上が病院送りにもなった。

試合後 冷静になった橋本は
「俺は絶対許さないよ。何がアントニオ猪木だ! 
けしかけたのが誰か、誰でも分かること。小川の目、完全に飛んでるやん!」
とまくし立てたが、反応が遅すぎた。

ではなぜこんな試合になったのか?
真実は不明だが、所説いろいろある!?

猪木黒幕説  大仁田の1.4新日本参戦をよく思わない猪木が、小川に「シュート」を命じた!?
小川暴走説  新日での敗北(ムタ・橋本・フライ)、UFOのエースとして立ち位置と小川自体の勝負の試合であり、     必要以上に暴走してしまった!_?
長州確執説  当時現場監督の長州との確執はピークに達していた!?
新日本制裁説  当時の橋本は会社批判により無期限出場停止中であったが、1.4のみ出場していた。

もしかしたら、
それぞれの「思い込み」とそれぞれの「勘違い」そしてそれぞれが「そんな馬鹿な!」の積み重ねが
この試合を生んでしまったのかも知れない!

そして
このシュートマッチは、

入場から、小川の目はいってしまっいる事!
小川サイドも、何があってもいいようにゴールドをセコンドに付けていた事!

また既に試合前から嫌な予感を感じていた橋本も、
身体にオイルを塗ったともいわれ、
セコンドには山崎や飯塚という信頼のおける仲間を置いた事!
など

既に戦いはかなり前から始まっていたのかも! 知れない

しかし惨劇の大きな要因は、

橋本のそこまで至る精神状態にあったのではないか? と見る関係者も多く、
橋本が万全の状態(準備ができていれば)だったら、
あそこまで一方的にはやられなかったのではと 分析する関係者も多い。
(この時点で橋本は小川だけでなく、新日に不信感を持っていた)

さらに猪木の指示があったとしても、その指示以上に小川が暴走した事にも含まれるのだ。
(小川がプロレスを知らなすぎる事も含む)


現に試合後、既に新日本から離れていた 前田も橋本に連絡を取り檄を飛ばしているのだ。

前田
「お前何やっているのだよ!  いかなきゃダメだろうが! ......」
プロレスはやったもの勝ち!である事を伝えていた。

 

この試合後、新日本の坂口社長は UFOと関係を断ち切ようとしたが、
結局藤波に社長交代がされ、再戦へと繋がっていった。

長州 (後から)
「ああいう試合というのは起こってもべつに不思議じゃない。
それまでも新日本というのはそういうものが起きてたわ
けだから。べつにあれが初めてじゃないし。
新日本の歴史の中ではべつに驚くことでもないし。
ただ、たまたま東京ドーム
でそれが起きたっていうだけで」.....

これまで新日本は、何かを仕掛けて、事件となるような事は日常的に起きてきた。
83年から84年にかけてのクーデターやUWF誕生と長州軍の全日参戦など、
つまりこのリングは何が起きても不思議ではない という事である。

ある意味 新日本の常識は全日本の非常識だったのだ。

第4戦 とまどい
1999年10月11日
東京ドーム

NWA世界ヘビー級選手権
60分1本勝負
×橋本真也 13分10秒
TKO
〇小川直也

心身ともに大きな傷を負った橋本 まだまだ完全復活は遠い状態で、
いきなり再戦が発表され 橋本自身戸惑いながら リングにたった。

それでも一度は脱捨てた闘魂伝承ガウンを着てリングインしたが、
最後は小川のSTOで橋本がTKO敗北 立会人の猪木が試合を止めたのだ。

第5戦 飯塚・村上が戦いに参加
2000年1月4日
東京ドーム

タッグマッチ
橋本真也
〇飯塚高史
2分24秒
無効試合
小川直也
×村上一成

橋本が復活へ 肉体改造(猪木の協力)を行い、飯塚を従えてリベンジ
 村上のキックに飯塚がダウンし、セコンド乱入の大混乱となったが、
猪木が試合を続行し、飯塚が村上をスリーパーで締め落とした。

橋本が復活の のろしを上げたかに思えた。

第6戦 村上の襲撃で橋本血ダルマ
2000年3月11日
横浜アリーナ

タッグマッチ
×橋本真也
小川直也
8分51秒
片エビ固め
天龍源一郎
〇ビックバンジョーンズ

村上が、会場入りの橋本を襲撃
負傷したままリングに上がった橋本は、当然小川とかみ合わず敗れた。
納得のいかない橋本は小川との再戦に引退を賭けると宣言

ちなみに、天龍のパートナーは当初高田であったが、高田の辞退にて、謎のレスラーの参戦となった。

第7戦 橋本 満身創痍
2000年4月7日
東京ドーム

時間無制限1本勝負
×橋本真也 15分9秒
KO
〇小川直也

橋本は引退を賭け、丸坊主でこの戦いに挑んだ。
両者のセコンドには猪木と坂口が付き殺伐とした戦いの始まりだ。

とは言え、『橋本小川に負けたら即引退スペシャル』などという番組名は、
視聴率UPの為、
橋本は勝つだろうという予測の元にテレ朝が付けたものであり、
この時点で橋本だけではなく、新日本ファン、いやプロレスファンを
どう考えていたのか?

視聴率UPだけが目的だった事が伺えるのだ。
 

橋本は、何とかSTOを踏みとどめ、ローキック・DDTで小川を追いこむが、STOの6連発に沈みKO負け
満身創痍の橋本がリングを降り一礼する姿にファンは悲鳴だ。
猪木、坂口、藤波もそろって引退の必要なしのコメント。

橋本を救ったのは、絶大なるファンの声(折鶴)だった。

再起を賭けた橋本であったが、長州との確執や 当時新日-全日ラインがあった中で、
ノア三沢と接触していた事もあり、橋本は 新日本を退社、

「後に当時の社長藤波は、彼を退社させたのは、彼を自由にしてあげたかったからの発言をしていた。


その後、 ZERO-OWNを立ち上げ 三沢戦の実現、小川と共闘、新日へ猪木軍として戦い、全日武藤との抗争を経て、
最後はハッスルにも参戦し、ZERO-OWNを守り抜こうとしたのだ。

この不器用な男は、まだまだ未完成ではありながら、プロレスを愛し  我々もこの男を愛していたのであろう。 



武藤全日移籍 長州WJ設立


武藤が小島やカシン、一部フロントを引連れて全日本へ移籍

2002年2月



当時の全日本は、既に三沢ら主力選手の大量離脱により、所属選手は川田、渕、ケアのわずか3名

新日本との交流戦でなんとか活路を見出していた状態
そんな中、武藤は全日本プロレスの興業に度々参戦しており、三冠ベルトも獲得しており絶好調

逆に新日本はK-1やPRIDEが生んだ空前の格闘技ブームに圧される中、
猪木の強行で格闘技路線にシフト中の時期


武藤「新日本プロレスの格闘技路線についていけなくなったから。
全日本プロレスで理想のプロレスをやりたい」

これにより新日本プロレスの屋台骨が大きく揺らぐことになったのだ。

(また武藤は全日本の株式上場により一儲けを企んだという説もあり)


既に橋本は離脱しており、新日本のエースであった武藤本人の離脱が新日本崩壊最大の要因となった。


武藤の性格もあってか、
この騒動後も何度か新日本のマットに登場した武藤は、IWGPを獲得して後藤や中邑、内藤、棚橋と戦った。
また番組規格で武藤はK-1の角田とともに新日道場へ突撃取材を行うなど、特に遺恨じみた跡を残さなかった。

全日本所属選手として新日本の至宝IWGPを獲得し、4回の防衛を果たした。

IWGPヘビー級選手権 2008年〜2009年
4月27日 大阪府立体育会館 ×中邑真輔 22分34秒
体固め
〇武藤啓司
7月21日 月寒アルファコートドーム 〇武藤啓司 23分50秒
体固め
×中西学
8月31日 両国国技館 〇武藤啓司 21分13秒
体固め
×後藤洋央紀
9月21日 神戸ワールド記念ホール 〇武藤啓司 19分16秒
体固め
×真壁刀義
10月13日 両国国技館 〇武藤啓司 21分39秒
フランケンシュタイナー 
 ×中邑真輔
1月4日 東京ドーム ×武藤啓司 30分22秒
片エビ固め
〇棚橋弘至

新旧天才対決!

2012年1月4日 東京ドーム
○武藤啓司 ムーンサルトプレス ×内藤哲也


長州が猪木を痛烈批判して、新日離脱 WJ発足
2003年3月



武藤の離脱の余波は大きく、全日本と交流戦を画策した永島氏にその責任を押し付けられた形となってしまい、
永島氏とのタッグで新日本プロレスに大いなる繁栄をもたらした長州力も、
現場監督を解任させられた。

長州
「なぜこれまで新日本プロレスのために体を張って、
多大なる貢献をしてきたオレが、こうもアッサリ切り捨てられなきゃならないんだ!!! 
アントニオ猪木には人間的な欠陥がある!!!」


新日本と猪木に怨念を募らせた長州と永島氏は、健介、健想を引き連れてWJプロレスを旗揚



しかし
このWJプロレスは、

興業が度々中止となったり、
ベルトの制作が間に合わなかったり、
無計画さやイージーミスを連発し
2年と持たずに崩壊となった。

また誰よりも深い師弟関係であったはずの、長州と健介も
WJの活動資金の金銭で大モメすることになり、完全に決別となった。

この頃、ZERO-ONE橋本が長州に対して紙面を飾り
なにコラ タココラ 問答に発展した。


新日マットも迷走
新日復権の為、猪木と現場サイドの確執が生まれた!

アルティメットクラッシュという総合格闘技のイベント
ジョーニー・ローラー(女子プロレス)が新日マット登場

さらに
大きな大会では外敵NOAH三沢、小橋、高山、K-1サップなども新日マットに上がり
その代償として自らの選手が白星配給係になるという悲惨な状況

2003年12月31日 永田Vsヒョードルは まさに猪木が強権発動

など
総合格闘技路線においても、かなり中途半端な形となってしまったのだ。

再び長州 新日のリングへ
2004年10月9日

WJ崩壊後、長州はリキプロとして活動し、橋本ZERO-OWNと対抗戦に活路を見出していた。
そんな矢先、再び新日本から復帰の要請が舞い込んだのだ!


猪木「若い者を怒鳴り飛ばせる人間が必要。長州が目覚めてくれるなら頑張ってほしい。
今回のドームの集客人数は関係ない。リストラをする。今こそ怖いオヤジが必要なんだ!」


藤波「知らなかった。でも、いいんじゃないですか?それくらいの刺激がないと、今の新日本は変わらないよ」

真輔「今の新日本には強いリーダーが必要!でも長州さんの事を知らないので何とも言えません」

長州
「新日本のど真ん中に立ったぞ!」

「永田、よく上がってきたな、お前だけ。
さすが、天下を取り損ねただけある。
中の人間が信頼されず、外に出た人間がど真ん中に立った
こと(の意味)を考えろ。
罪を背負うのはどっちだ。
次に立つ時は、オレのパワーホール全開で立つ!」

ちなみに、天下を取り損ねたとは!? ミルコ、ヒョードル戦で敗北した事を意味している???

長州の復帰に続けて 健介も新日のリングに登場!
戦いは、永田Vs健介 永田・西村Vs長州・蝶野戦へ続く.....



なにコラ!タココラ!問答


2001年1月4日
東京ドーム
遺恨凄惨

2000年に解雇された橋本が長州との遺恨マッチ清算の為、
新日マッチに上がった
(新日本での長州Vs橋本ラストマッチ)

遺恨をぶつけ合う凄惨な試合となり、
ダウンしてもフォールすることなくお互いが殴り合う形となってしまった。

山崎「藤波さん、つぶし合いになっちゃいますよ!」
しばらく様子を見た藤波は、リングサイドに詰め寄り試合を中止した


"ドラゴンストップ"
藤波「我々は殺し合いをしているんじゃない!」


2003年11月4日
東京スポーツに長州に関する記事が掲載された

橋本「長州力は死んだ 三銃士を育ててくれたあの人はもういない」
「さらば長州、オレの知っている長州力は死んだ」


ZERO-ONEの橋本真也が過去の新日本時代の怨敵長州力について紙面でバッサリ切り捨てた

2003年3月に猪木を批判して設立したWJプロレスではあったが、
無計画さやイージーミスを連発し経営危機の状態
さらに越中もフリー宣言してNOAHマットへ 
WJプロレスは団体として形をなさない状態にまでなっていた。

「いよいよ長州力も最終地点に近づいたな。これじゃあのオッサンもなすスベなしだろ」

「結局、WJは長州力だったんだから。まぁあの人の生き方をどうのこうの言う気はない。
好き勝手なことをずっとやってきたんだから。ただ神通力がなくなったということ。
WJの主張してきたど真ん中なんて所詮は偶像だったんだよ、だから今こんな状態なんでしょ」

 さらに「WJにひと言いうとすると、レスラー、スタッフ全員に心のつながりも何もない団体、魂のない団体に思えた。
ただ、それも人ごとだから。
オレたちは他人のふり見て我がふり直せでやっていくよ」


と冷静かつ冷酷な言葉!

「まさかあの人がこんなことになるとはね。
長州さん本当に終わっちゃったな。あれ(最後の一騎打ち)以来、会う機会も話す機会もなかったけ
これも時の流れだからしようがないんだろうけど、闘魂三銃士を育てた長州力はいないよな。
さらば長州力だよ」

「WJがあんなふうになったから言うわけじゃないけど、オレたちは自分の団体だけじゃなく
プロレス界をよくすることを考えないと。みんなで枕を並べて討ち死じゃシャレにならんよ」

「オレは長州さんのようにはならない。大谷にもトップを譲る気はない。
どうしてもほしければ力ずくでこい」


これに長州が反撃した


2003年11月5日
東京スホーツ


長州「クソデブよ俺は歩き続ける」

橋本発言を伝える本紙を手に、怒りをぶちまけた長州


「何が死んだ、だ。クソデブが。とぼけたコト言ってんじゃねえよ。
先に死んでるのはお前らだろ。俺は死んでないよ。
確かにウチはキツいが、それはよそも一緒。
でも先に両手を挙げるのはウチじゃない。
コイツ(橋本)も言ってるが、WJは俺自身。
つまりWJは俺が歩き続けているうちは潰れることはない。
そして俺は歩くのをやめるつもりはない。ということはWJは潰れないってことだ。ハンパなレスラーがほざくなって。」

「そこが一番頭にくるってんだよ。俺はあいつらを育てた覚えなんてないよ。
俺が育てていたなら、あんなポンコツにはなってない。
今の三銃士にプロレスラーを名乗れるやつがいるのか。いないだろ。
武藤は両足がポンコツ。
蝶野は首がダメでもう無理。
橋本なんか、ヒザと肩が痛いっていってもう戦えないじゃねえか。
先に死んでるのはテメエらなんだよ。
こっちは50歳過ぎても万全の準備をしてリングに上がっている。
でもアイツらは40歳でもう動けなくなってるじゃないか。お前らに俺のクビが取れるわけがない。
3人まとめてかかってきても無理だよ。」


「神通力って何なの。俺は橋本みたいに、試合前に数珠を首にかけて、
神様だか仏様だかにお祈りしているほど、ヒマではなかったんでね。
だったら聞くけど、誰に神通力があるって言うんだ。まさかお前にあるとは思ってねえよな。
いくら橋本でもそこまでオメデタくはねえだろ。」



「知るかよ。昔の恨みを晴らそうとでも思ったのかね?
それにしてもこれぐらいしか考え付かなかったのかねえ。
どうせ弱っていると思ってんだろ、今がチャンスだってね。
クソタワケが。やっぱり端っこを歩いてきたヤツはダメだな。
こんなのクソの話題にもならないよ。
マスコミ使ってかみ付くような恥ずかしいことはやめろよ。
前から言ってるだろ、よっぽどのことじゃなきゃ俺の名前出すんじゃねえぞって。
橋本ごときに俺の名前を使われるほど俺は落ちぶれちゃいねえんだよ。
他人のことなんかかまっているヒマがあったら
自分の足元をキッチリと見ていろよ。
しっぺ返しを食らうぞ。」



今度は、橋本が反撃!
既に舌戦は泥沼化の状態


2003年11月6日

東京スホーツ

橋本「長州が状態万全なのはその程度の相手としか戦ってないから」


「オレは本当にそう思ったから、行っただけなんだけどね。
オレも一番腹がたつのはテメエはボロボロになって引退したんじゃなかったのか、ってこと。
何が万全の準備をしてリングに上がってるだ。
ますます口だけデカくなりやがって。」



「レスラーにケガはつき物。
長い間、現役やっていて、万全の体調の方がおかしいと思うよ。
本当に往生際が悪いよな。
じゃぁ言ってやろうか、アンタが万全でやれてるのは、その程度の相手としか試合をしてないからだろ。
確かにオレがケガを抱えていることは認める。
でも7日のシリーズ開幕に向けて心は万全の状態に持っていっているし、
そのための準備もしている。」


「どうとでもとれよ。オレの知っている長州力が死んだ、と思ったのも本当。
あの人が三銃士を育てた、思ってたことも正直に言っただけ。
そんなひねくれたものの見方しかできないとは、情けない男だよ。
オレはそんなに陰険な人間じゃないけど、長州のこととなると話は別だな。」


「何がど真ん中だ。アンタもあぜ道を歩いていたんだろ。
お前がど真ん中なら オレはど真ん中の芯だ。
真ん中の真ん中よ。この意味がお前に分かるか。勝手にどこでも、ハンパなレスラーには、
そこがどんな場所かも分からねえだろうからな。」


とうとう天下分け目の口喧嘩勃発!

2003年11月18日
ZERO-ONE事務所

「お前これなんだ
なにがやりたいんだコラ!紙面飾ってコラ!
なにがやりたいのか、はっきり言ってやれコラ!
噛みつきたいのか噛みつきたくないのか、どっちなんだ!どっちなんだコラ!」

「なにがコラじゃ!コラ馬鹿野郎!」

「なにコラ!タココラ!」

「なんやコラ!」

「紙面飾るなって言ってんだコラ!」

「お前が言ったんだろ、この野郎!」

「言ったのはてめぇだろうコラ!」

「おい」

「なにコラ!」

「いつでもやるぞコラ!お前死にてぇんだろうこの野郎!」

「お前今言ったなコラ!」

「おう、言ったぞ!」

「吐いた言葉飲み込むなよ、お前」

「それはお前もじゃコラ!舐めとんなよ、この野郎!」

「よーし、わかった。お前今言った言葉、お前飲み込むなよ!そんな吐いて。わかったな
中途半端な言った言わないじゃないぞ、お前。わかったなコラ!わかったな!
本当だぞ。本当だぞ。なぁ。噛みつくんなら、しっかり噛みついてこいよコラ。なぁ
中途半端な言った言わないじゃないぞお前。わかったなコラ。わかったな」

「お前にわかったな言われる筋合いねぇんじゃコラ!」

「噛み付くんだなコラ!」

「オッサン、舐めんなよこの野郎!」

そして両雄は再び戦いへ

2003年12月14日
両国国技館

橋本ZERO-ONE軍vs長州WJ軍 全面対決
○橋本真也 レフェリーストップ ×長州力

2004年2月29日
両国国技館

ZERO-ONE3周年記念興行
○橋本真也 片エビ固め ×長州力

橋本が勝利し因縁に一旦ケリが付いた形となった

そもそもこの戦いは、どちらが強い! という戦いではないが、
橋本が2連勝したのは当たり前であった。



それから

2004年3月1日
後楽園ホール


WJプロレス 後楽園大会に橋本が来場し、控室で長州と密談
4月30日橋本と長州は7年ぶりにタッグを結成し、外人チームと対戦した。

編集後記

長州と橋本の遺恨は深いものがあった。
勝手に新日を去り、突然のように新日に復帰した長州 

その姿をずっーと見ていた橋本 

1987年6月3日に勃発したリンチ事件 その辺りから
長州に対する別の感情が生まれたのは間違いなさそうだ!

でも救われたのは、最後に長州と橋本がタッグを組んだ事

記念大会で猪木、藤波、長州、藤原、佐山、前田、武藤らが笑顔でリング立っていると
なぜかホットする!

もし破壊王が生きていたら、同じリングで笑顔を見せてほしいもの。


 



禁断の出戻り男・健介を 永田がケンカ制裁
「いいんだね、殺っちゃって!」

2004年1月4日
新日本プロレス
東京ドーム


2002年10月、新日本を退団した健介、長州率いるWJに合流したが
1年を待たずに退団し、古巣新日本へ宣戦布告した。

健介の新日復帰に猛反発する選手も数多くおり、
当然のように健介迎撃へ立ちあがったのは、もっとも遺恨のある永田。


「いいんだね、殺っちゃって!」 戦前の永田の一言は一時

実際に、試合は凄まじいまでの流血戦となり、
をモニターで観ていた猪木が、
「もうやめさせろ! 死人を出す気か!?」
と思わず叫んだ。

時間無制限一本勝負
○永田裕二 レフェリーストップ ×佐々木健介

この後、健介はNOAHに参戦し、健介Office ダイヤモンドリングを経て引退。
永田との遺恨よりも、WJ時代の長州との遺恨が本当は深いのだ。

 



西村の長年に渡る長州への深い憎悪を虚しく、
長州に吐血KO敗け
試合は、永田がど真ん中で勝った!


2004年11月13日
新日本プロレス
大阪ドーム

2004/10/9
新日本プロレス 

長州

「新日本のど真ん中に立ったぞ!」
から
始まった永田Vs長州、その戦いに西村も加わった。

試合前

西村
「お前のせいだ!全て
この2年間の苦しみは誰にもわからないんだ
生きて帰れると思うなよ!」

イルミネーションタッグマッチ
永田裕二
西村修
×西村(KO)長州○ 長州力
蝶野正洋
○永田(垂直落下式ブレーンバスター)長州×
 ○永田(サンダーデスドライバー)蝶野×



長州のリキラリアットをもろに受けた西村は、なんと口から吐血
それでも起き上がる西村に、2発目のリキラリアート炸裂!
長州は返り血を受けながら、3発目のラリアート。
西村ピクリとも動かずに10カウント

そして意識なくTKO 担架で運ばれた。
凄い試合だ。

西村の長年に渡る長州への深い憎悪が垣間見えた試合だ。
その後、蝶野と長州が仲間割れから、永田が長州蝶野を連続フォール
永田の独り舞台となった



2010年1月4日
長州は、 東京ドーム「レッスルキングダム」
以降、新日のリングへの登場はなくなった.....

 



どうにも歯がゆい諏訪魔の新日大嫌い戦争

「ふざけるな!アントニオ猪木」
2011年8月9日
「ALL TOGETHER」発表会見



実は、8月27日IGF興行とALL TOGETHERが同日開催される事で、
仁義なき興行戦争が勃発していた。


諏訪魔は、
8月27日に日本武道館で開催される新日本、全日本、ノアによる3団体オールスター興行
「ALL TOGETHER」のカード発表会見で
「ふざけんじゃねえ、アントニオ猪木」と発言!

同じ全日本で「ALL TOGETHER」のリングに上がるKENSOが
「猪木さんを呼び捨てにするなんて、百歩譲っても考えられない。
私は世界ナンバーワンの猪木信者です。
全日本としてもよくない。許さない!」
とすかさず反応!

 またIGF勢からも噛み付かれ
武道館へ殴り込むという選手言葉まで現れた。

当時IGFのエース鈴川は

 「闘魂にケチつけるんなら、オレ、いつでも行きますよ。
27日の試合が終わったらそのまま乗り込んでもいいし、
IGFのリングは誰でも挑戦できるリングだからかかってきてほしいとも思いますしね。
諏訪魔には三冠ベルト持ってかかってこいよ!と言いたいですね」

と、諏訪魔VsIGF 諏訪魔Vs鈴川の抗争かが加速するかに思われたが、
事態は動かず終息した。


新日本プロレスリング&全日本プロレスリング
創立40周年記念大会
サマーナイトフィーバー in 両国
 「We are Prowrestling Love!」
2012年7月1日
新日本プロレス
両国国技館

第7試合
○オカダカズチカ
中邑真輔
14分13秒
レインメーカー
諏訪魔
×近藤修司

諏訪魔は、対新日というだけで最初からピリピリムードの試合となった。
最後はオカダが近藤をレインメーカーでフォールするも、
試合後もオカダに突っかかり、
オカダへのジェラシー?なのか?  どうにも後味の悪い試合となった。




真輔

「とんだ期待はずれの“ゴリライモ”だぜ!俺は欲しかったんだよ、たぎるのが!オイ!
どっかにあったか?マッチに火が着いたのが、試合後だとはな!ダセーぜ!」


諏訪魔


「オイ、プロレスもできないヤツが生意気だな?いいんだよ、
シングルやったっていいし。

新日本ファンがメッキを、ファンが塗ってるんじゃねーか?
そこが全日本ファンとの違いだよ。

ちょっとイロモノに染まりすぎじゃねーか。
プロレスファンは。オカダの印象?メッキどこじゃねーよ。
悲しすぎちゃうな。10分1本勝負でちょうどいいんじゃねーか?
あ〜、うるさい、うるさいな。

身内がみんな思ってるんじゃねーか?アイツは、作られた商品だってことを。
俺は、新日本のジェラシーを持ってる選手の代わりにやっただけだぞ。
覚えとけ」



諏訪魔のコメントを聞いて さらに

真輔

「プロレスのリングで何がしたいんだろ?」
「そういうのがやりたいならやってやるよ」

「なんか、悪い意味でもの凄く前時代的なものを感じましたけどね。

新日本はそんなのを通り越して、
新しいプロレスを創り上げようと進んでる最中だったし。

もちろん、団体対抗戦だから互いに力を競い合うのはあたりまえのことですけど、
やりかたが子どもじみたというか、俺からしたら情けねえな、ダセえなと思いましたよ。

アイツ(オカダ)は「相手にしない」という戦法をとりましたよね。

逆に諏訪魔みたいな行為が、自分は下ですよ

という格下感を披露することになるのに、本人が理解してないというか。」.....


結局、諏訪魔と新日本との間に抗争まで発展はなし!
文句があるのならば、リング上で決着を付ければいいのだが?

博多スターレーン大会の試合後
2013年2月10日
全日本プロレス

諏訪魔
「組体操みたいなプロレスは大嫌いなんだよ!
新日本プロレスは大嫌いだ!」

と批判


2017 SUMMER EXPLOSION

全日本プロレス45周年記念両国大会
〜新たなる決意〜
2017年8月27日
全日本プロレス
両国国技館



試合前に、
 G1クライマックスで1勝8敗の結果に
「残念な先輩」などと糾弾した諏訪魔
試合後に、
「こんな悲しい試合、何年ぶりだろう…」と小嶋

シングルマッチ
○小島聡 11分15秒
ラリアット
×諏訪魔

注目の一騎打ちだったが、試合直前にをジョードーリングが諏訪魔を襲撃され、
手負いとはいえ、あっさり敗れた、残念な後輩となってしまった。



いつでも諏訪魔の発言は、とても辛口で厳しいもの、
だからこそ、リングで戦えばよいのだが、
全て後味の悪い、中途半端な結果に終わってしまったのは、
大変残念。

もし長州が絡んでいたら、
「何がやりたいんだ! コラ!」「噛みつくなら、しっかり噛みついてこい」と怒られそうだ。

戦いは、藤田戦へ 続く



遺恨の炎をくすぶらせ、
諏訪魔が恐ろしい相手を敵にした!



 
 
カシンのセコンドで藤田和之登場
2015年4月23日
全日本プロレス
後楽園ホール


チャンピオンカーニバル 公式リーグ戦
○ケンドーカシン 9分22秒
首固め
×諏訪魔

諏訪魔来場
2015年5月5日
IGF大会




猪木

ただ睨み合っても伝わらない諏訪魔は堂々とリング上がればいい

「そういう場面(にらみ合い)で何をやろうとしているのか俺にもわからないけど、
例えば対立構造ということを打ち出し、闘いたいのか。
それならばもっと演出も必要になってくるし。
来てるお客さんが『なんなの?』『なんだかわからない』。
そこは状況状況によって演出の仕方っていうのはあるわけだから。」

「あえて言うんであれば、堂々と殴りこんでくればいいんんですよ。
そうすりゃお客もわかる。堂々とリングに。
何を考えてやったかわからないけど、ただにらみ合ってじゃ、
そんなの誰もわからない」




翌日の5月5日 全日本プロレスが後楽園大会へ招待したが、藤田ボイコット

天龍引退試合で急遽実現
2015年11月16日
天龍プロジェクト
レボリューションファイナル

タッグマッチ
藤田和之
×関本大介
ゴーレムスプラッシュ 諏訪魔
〇岡林裕二



試合後

藤田 
「諏訪魔、分かってるよな? 俺は年末が楽しみでしょうがねえんだよ」

諏訪魔 
「今日は天龍さんの引退試合のリングなんだよ! お前が考えるリングに上がる気はねえ!」

改めて藤田が見据える大みそかの年末格闘技イベントでの一騎打ちを拒否

藤田 
「何だあれ? 終わらしてほしかったら『怖いです』って言え
人の目をまともに見れねえやつが、俺に勝負を挑むなんて100万年早い。
これで終わりだ。話になんねえ!」


事実上の抗争終結を宣言


全日本襲撃

2018年2月3日
全日本プロレス
横浜文化体育館

諏訪摩・石川修司Vs宮原健斗・ヨシタツ 世界タッグ選手権 終了直後に、
はぐれIGF軍団カシン、NOSAWA論外 続けて藤田が登場し諏訪魔と睨み合い、
岡田佐藤を蹴散らし、藤田が諏訪魔に椅子を脳天に叩き込み、諏訪摩マットで大の字。



諏訪魔

「おい藤田!お前たち何しに来たんだよ。お前辞めたんだろプロレス。
三年半何ヤッてたんだバカ!
おい、俺はこんなん納得いかねーよこのままじゃ!
おい佐藤、岡田、何しに来た言ってみろ!」


藤田

「ブーイング?気持ちいいねぇ。気持ちいい。もっとほしいね。
足りないんじゃない。
ブーイングもらいながら飲むハイボール、
最高。毎回飲んでやるよ。
毎回持ってきてやるよ。かまぼこつまみながらね。
ふふふ。
たまにはレールから外れればいいんだよ。
あいつも。
レールに乗っかって暴走してるんだろ。
あんなの暴走って言わないんだから。
一回レールのないところで暴走すればいいんだよ。
まだまだだよ。あいつ次第、あいつ次第だよ」


かまぼこ葬再び
2018年3月25日
全日本プロレス
さいたまスーパーアリーナ

藤田がはぐれIGFインターナショナル旗揚げ直前のカードとなったが、
試合は、なんと論外が岡田をレフェリーストップで快勝。
藤田が再度諏訪魔の口にかまぼこを突っ込み、KO。

試合に手ごたえを感じなかったのか、

藤田は
「めんどくせえ、めんどくせえ。終わり!」と会場を去った。

タッグマッチ
藤田和之
ケンドーカシン
○NOSAWA論外
11分21秒
レフェリーストップ
諏訪魔
佐藤光留
×岡田佑介

結局、諏訪魔は何がしたかったのか?
中途半端に牙をむいたとしたら、相手が悪かったのだ。

新日はずっと前からこんな戦いをしてきたからだ。

続きは、あるのか?.....



外敵KENTAが
新日ど真ん中で巻き起こした

Before & After

柴田勝頼とも共にWWEを離脱したヒデオ・イタミことKENTAが登場!
2019年6月9日
新日本プロレス


G1 CLIMAX 参戦をアピール

第6試合後、場内に柴田勝頼のテーマ曲が流れ、場内は歓声に包まれる。
柴田はスーツ姿で花道に表し、途中で振り返ると入場ゲートを指差す。

 すると、なんと元WWEのヒデオ・イタミことKENTAが登場。

 柴田がロープを開けて招き入れるかたちで、KENTAはリングイン。

 柴田は「え〜、今日は大親友のKENTAを連れてきました!」

KENTAにマイクを手渡す
 
KENTA「新日本プロレスファンのみなさん、KENTAです。
まずはこの場を作ってくれた柴田さんに感謝しています、ありがとう」

「オレは自分の本能に従って、ここに来ました。KENTAのプロレス、お見せします。
G1お会いしましょう!」

柴田「以上!」


興奮冷めやらぬバックステージでは!

柴田「まずは日本にお帰りですね 彼が私の知ってるKENTAを今日呼び込みましたが、
あとはもう彼がのびのび思う存分、KENTAのプロレスをするだけです  俺ができることはここまで」



KENTA
「もうまさにいま言ってる通りで、まあ自分のプロレスがしたいそういう気持ちもあって、

WWEを辞めて

まあアメリカに対しても、自分のなかでまだやり残したことがあって、
もう1回自分のプロレスをやってもう1回世界に対しても、
自分というものをアピールしていきたい

そういう中で柴田さんの存在があってこういうことが起きて、
もうホントにあとはいま言った通り、まああとは俺がやるだけですね」



柴田
「人生どこでどうなるかわからないという
まさかこんな日が来るとは
俺はイメージしてましたけど
まあ、その通りになってしまいましたね」


KENTA
「そうですね、やっぱりG1はホントに新日本プロレス 、
ニュージャパンといえば世界中でも、まさに最高峰のうちの一つだと思うし、
まあニュージャパンでもみんな、世界のどこでも通用するいま団体だと思ういますし、
そういうなかでしっかり自分というものを残して活躍することができれば、
おのずと世界に対しても、また改めてKENTAっていうものをアピールできると思うし

G1はそれにとっては、一番いい場所なんじゃないですか」


新日を選んだ理由を問われると?

KENTA
「対世界ですね! 今新日本は世界に向けても凄く大きくなってますし、
事実4月のマディソン・スクエア・ガーデンをいっぱいにする団体ですし、
選手の層を考えても、世界最高峰の一つだと思うし

そういう中できっちり自分というものを出せれば、対世界に対してもアピールしていける
そこが一番大きかったですね」



KENTA
「そうですね それは何の巡り合わせかわかんないですけど、
また大阪から始まることになりましたね」


柴田
「LA道場で まあ、タイミングが合えば
いつでもウェルカムなんで
俺が協力できることはしますし、あとはもう、暴れてもらうだけかな

思う存分、KENTAのプロレスを。それに尽きると思います」


いまの新日本プロレスにKENTAのプロレスが入ったら、どうなると思いますか?

柴田
「俺に? いやあおもしろくなるんじゃないですかね
まだ、なんだろ? 想像が未知すぎて」


KENTA
「違和感だと思いますよ 違和感があると思いますよ
でも逆に、そうでないといけないと思うし、僕がいる
意味っていうのは
違和感でないといけないと思うんで
そんな闘いができればいいなと思いますね」

一人で乗り込む形になりますけど、誰かと組んだりとかは?

KENTA
「そうですね」

柴田
「べつに仲良しこよし、リングの上でやるもんでもないし
そのへんはお互いの意識の中で確認する必要もない」

KENTA
「友だちが少ないところも似てるし」

柴田
「友だちが多いと、闘いづらいからね
唯一、ボクの数少ない友だちを連れてきました、っていうことです」


いまの新日本に対して具体的なものがあったりしますか?

KENTA「もう、ほぼやったことがない選手ですし、新日本に上がったっていったら、
ボクの記憶する中では2002年とかそんなもんで
あれからいろんなものが変わってますし、もう、誰とやることに対してもすごく楽しみですね。(こんな答
えじゃ)つまんないですか? 
誰かって言った方がいいですか?」



柴田
「OK? じゃあいいですか? ありがとうございました」

あらためて二人でガッチリ握手を交わす


同じ日
プロレスリング・ノア
三沢光晴メモリアル 後楽園ホール

盟友丸藤 「わかった。今日という日にお前はそっちを選んだんだな。一言だけ。頑張れ。絶対埋もれるなよ!」

第29回 G1クライマックス 公式戦

KENTA(フリー) 4勝 5敗

試合結果
×飯伏幸太 20分51秒
go 2 sleep
〇KENTA
×棚橋弘至 18分35秒
逆片エビ固め
〇KENTA
×ランスアーチャー 11分15秒
GAMEOVER
〇KENTA
×EVIL 15分3秒
go 2 sleep
〇KENTA
〇オカダカズチカ 26分53秒
レインメーカー
×KENTA
〇SANADA 16分10秒
ラウンディング
ボディープレス
×KENTA
〇バッドラックファレ 7分20秒
エビ固め
×KENTA
〇ウイルオスプレイ 16分33秒
ストームブレイカー
×KENTA
〇ザックセイバージュニア 16分26秒
アームバー
×KENTA


そしてG1最終日 それは必然的に起きた!
2019年8月12日
日本武道館

第29回 G1クライマックス 公式戦

KENTA
YOSHIHASHI
×石井智宏
8分35秒
体固め
バッドラックファレ
〇タマトンガ
タンガロア

石井からのタッチを寸前で避け一旦リング外へ! 不可思議な行動
そして再びリングインしたKENTAは、石井へキックから
go 2 sleepを放ったのだ!

まさにKENTAの顔がダークフェイスに変わった瞬間だ!

go 2 sleepを受けて力尽きた石井に、タマトンガがそのままフォール!

怒りのYOSHIHASHIがリングに戻るが、KENTAとバレットクラブの総攻撃を食らう

新日のリングど真ん中でKENTAがマイクを持つ
その瞬間 柴田が一直線にリングイン
KENTAに怒りのエルボー 柴田が動けた!

しかしバレットクラブの介入でKENTAが裸締めからキックで柴田KO
その上にあぐらをかいて笑みを浮かべた

KENTA「いやぁ〜、最後、G1締めたねぇ! メチャクチャ気持ちよかったなぁ
ブーブー言ってたな! ブーブー言ってたよ!
柴田もうれしかったろう、あんだけ久々に声援浴びて
あ!? 礼の一つでも言いに来いって
今日から新しい始まりだよ
俺から目を離すなって言ってたろ、ここ何日か、ずっと
まだまだ終わんねぇぞ!」

脇腹を押さえてインタビュースペースにたどり着くと、ヒザをついて座り込み

柴田「アイツは何て言ったんすか! KENTAは何て言ったんすか!」
「久しぶりに声援を浴びて、柴田も喜んでるだろう」と

柴田「俺が、アイツのために、どれだけ苦労したのか どれだけ苦労して、このリングにつなげたのか
アイツ、これっぽっちも分かってねぇよ!
でも、いいんじゃねぇの? いいんじゃねぇの? 
自分で道を見つけて、お仲間もたくさん増えて、うん。いいんじゃないすか?
ただ、これだけは言っとく どこ行っても、どこのリングでも、ちゃんとKENTAでいろ

関係ねぇよ、別に、仲良しこよししたくて連れてきたわけじゃないし
アイツだって言ってたじゃん 迷子が道を見つけられて、よかったじゃん
それだけの話だよ いいよ、別に どうってことねぇよ
ただ、あと、これだけは言っとくよ
人の顔を蹴ろうとした時に、転ぶな! バカ野郎! 以上ーッ!」

 

こんなに短期間で 信頼と友情が裏切りと遺恨に変わるとは?
まさに新日のど真ん中で外敵KENTAが起こしたBefore と Afterだった。



結局、G1で結果を残す事ができなかったKENTA!
この戦い、これからの戦いでKENTAは自分の居場所を見つけたのかも知れない!

親友であった柴田が最後に言った言葉 
盟友丸藤が新日参戦を聞いて話した言葉
どおり
単なる軍団の一員だけにはなって欲しくないものだ。




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1981年 国際プロレス崩壊 R木村が猪木に挑戦
1983年 長州革命 俺はお前のかませ犬じゃない
1983年 クーデター事件 UWF誕生〜長州全日マット登場、そして復帰まで 
1986年 前田Vsアンドレセメントマッチ
1987年 橋本真也リンチ事件
1987年 世代闘争
1987年 前田 長州顔面蹴撃事件
1988年 飛龍革命
1991年 新日本Vs誠心会館 他流試合
1995年 新日Uインター全面戦争
1996年 馳新日本引退と全日本入団



  
新日のイデオロギー闘争の中、ちらつく全日本の影!

全日本は、設立時日テレと百田家の協力により全米トップクラスの外人を招待でき、
さらに鶴田というプロレス界の逸材も手にした豪華プロレスだった。

また長州が全日本に登場した事で、対外人の豪華プロレスから軍団抗争や日本人対決という
これまでなかった文化が導入され、その結果として天龍革命へとつながった。
さらに天龍革命によって鶴田Vs四天王の戦いから四天王プロレスが生まれた。

新日本の真似となった 大仁田のJrヘビー級、三沢タイガー、馬場と空手家の対決
横綱輪島の登場も創造したものではなく、
そしてハンセン、キッド、ベイダー、ウイリアムスと新日が育てたレスラーが
馬場全日本の後半を支えた。

第一次UWF崩壊時、馬場は佐山・前田・高田の獲得にも動いていた。

何もないところから常に創造した新日本に対して、
常にその時代の旬を取り込もうとしただけの全日本は
やはり真逆の存在だったのであろう。

新日本が創造プロレスだとすると、全日本は既製品プロレスなのかもしれない。
 

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